こんにちはyanagi(Big Spoon)です。 (・∀・)
先日録画していたテレビ番組では、ボスニア・ヘルツェゴビナのことが扱われていました。元サッカー日本代表監督イビツァ・オシムの故郷でもある国です。
(脳梗塞で倒れたオシムでしたが、今ではほぼ回復したようです)
その中で、盆地であるボスニア・ヘルツェゴビナの冬がどれくらい寒いのか、ということについて説明されていました。
そして、いかにも寒いと言わんばかりの説明だったので、どれくらいやと思っていたら『-20℃くらいにもなりますね』との答え。
それを聞いた私は「なんや、そんなもんか~い!」と思ってしまいました。私自身も-30℃を経験していますし、シベリア中部では-50℃くらいになるときもあるからです。
ちょっと、私の感覚もずれているのか?と思いいたりました(苦笑)。
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前回からの続きです。
前回の記事は、モバイル・イマジネーションのオチについてどう考えるか、ということでした。
前回書いたように、『ワンピース』、『ガラスの仮面』、『ゴルゴ13』、『マハーバーラタ』みたいな超長編にモバイル・イマジネーションがなってしまうと、当初の目的とは意味合いが異なってきてしまいますね~。
マヂデーΣ(°д°lll)
著者の老松氏も書いているように、基本的にはモバイル・イマジネーションは問題や悩みの解決のために行うものです。
ですから、『ワンピース』といった超長編になってしまうと、問題解決の手段としてではなく、それ自身が自己目的化してしまいますね。
ま~。超長編というものそのものがダメというわけではありません。それは自己の世界観が表現する『昇華』機能の産物ともいえるからです。
ただし、それがモバイル・イマジネーションとして用いられるならば、悩みや問題の解決が行われているか、ということを考えなければならないでしょうね。
ところで、長いものもある一方、短すぎるし中身も空虚なイマジネーションがポコポコポコポコ出てくるという場合もあるでしょうね。
ただし、これまで書いてきたような、長すぎたり短すぎるイマジネーションは、二者間に問題がある可能性が高いかもしれません。
その二者とは、モバイル・イマジネーションを自分自身で行う場合には、自我と無意識という二者(『者』なのかは不問で)、カウンセラーとの間で行うときはカウンセラーとクライエントという二者。
特に後者では依存の問題がからんできます。
そんなこんなの問題がありつつも、ユング的な考えでは無意識の賢明さを重視します。なので、基本的にはイマジネーションの長さも、無意識にお任せでいいという部分も大きいように思います。
次回はモバイル・イマジネーションに関する別のことについて書きます。
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