こんにちはyanagi(Big Spoon)です。 (・∀・)
ブログを書き始めて3ヶ月くらいになります。
その間で、意外と多くの方がこのブログに来ていただけるよ
うになってきたようです。
アクセス数が600弱回、アクセス数も400人くらいにな
ることもあります。ありがたいことです。
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・
ブログ始めた当初は、「ユングとか夢分析といったマイナー
なことに、どれだけの方が関心を持ってくれるのだろうか」
と思い、ビビッてました。
ときどき突っ走っちゃうこともありますが、どうかみなさん
これからも引き続き温かい目で見てやって下さ~い。
*:..。o○☆゚・:、。*:..。o○☆゚・:、。゚・:、。★゚・:、。゚・:、。☆*:..。o○☆゚・:、。*:..。
前回の記事では、歴史の流れの中で自我の大きさがたどった
変遷を、『大・中・小』で相対的に比較してみました。
すると・・・
(条件付きの)中(中世のスコラ哲学・スコラ神学)⇒極小
(17世紀のデカルト)⇒巨大(19世紀のニーチェの哲学)
⇒小(20世紀におけるフロイトの精神分析学
と考えられると書きました。
ではユングに至って、自我はどのように考えられるようにな
ったのでしょうか。
(ユング。再掲)
建設的ではあるかもしれないけど、ツンデレなところもある
「自己(セルフ)」元型に耳を引っぱられ、引きずり回され
ているようなイメージでしょうか。
確かに、そういう部分があるであろうことは否定しづらいと
思います。
また、自らの精神が外界と接触するためにのみ働かされるよ
うな、カワイソウな存在、ととらえることもできるかもしれ
ないですね~。
続きま~す。
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