お気に入りでは全くないが、毎日同じ服を着ていた。それゆえ気づかいが必要であった。シワをのばす、汚れたところをきれいにするなどのメンテナンスや、ほかの服装とのバランスも考えなければいけないが、毎日同じ服ではみっともないなどという思考は拒絶されている。糸がはみ出ているといった指摘を受ければ裁ち切るだけでよい。人様に笑われても気にしないようにしてきた。


そんないっちょうらの服ともおさらばすることになった。

ようやくその服を脱ぐ季節となったのだ。

制限付きの服を脱いだら身も心も軽くなるというものだ。


そんなわけで、時間と心の余裕ができたので、またブログ記事を書いていこうと思います。

もとより、なまくら(この場合はペン)ではあるが、ずっと鞘(この場合はペンケース)に収まったままであったので、キレ味(この場合は…やはりキレ味?)がすこぶる悪くなっている。

使いながら、少しずつキレがもどってくればよしと考える。


ちなみにその服はもう二度と袖を通すことはありません。



その間、いろんなことがあり、ブログにしたためたいこと多く、走り出すには過積載だが、もっとも意識が高くて好きな分野であるスポーツや身体活動関連を、まずもって取りあげます。


その混合スープの中でもまだまだアツアツなのが大相撲であると思う。


↑で取りあげ

その当時はまだ期待のルーキー程度であった元学生横綱が、順調に髪の毛と番付をのばして、今では大の里というありがたいしこ名を拝命し、これまた期待以上の活躍を見せ、入幕二場所にして来場所は三役か、というあっぱれな出世を遂げようとしている。


しかしながら、それ以前は相撲部屋の後援会に入会したものの、あまり興味が持てず、大相撲中継を見ることが少なかったのが、ここにきて俄然、自分の中で盛り上がりを見せていたのが大相撲春場所であった。

その具体的対象がこの巨漢力士である。

元学生横綱という実績があるものの、まだ粗削りの文字通りの大器で、これからの伸びしろは∞に違いない。

師匠の二所ノ関親方は、中学を卒業して角界に入門し、横綱まで登りつめたたたき上げであるからか、その指導方針が、勝つための小手先のワザを促成栽培のごとくに仕込まず、この角界の至宝をまさに大器にふさわしいように、基礎基本、土台作りから行うようにしているところ(おそらく)が、わたくし後援会会員としても大いに賛同できるところである!


と言いつつも、二場所続けて二桁の勝ち星を挙げれば、早い段階で大関になるのではと、ついつい期待欲を抱いてしまうのは自然な人情だと思う。

大関昇進の基準、直近三場所での勝ち星合計が33とか34とかの数値目標のようなものがあったと思うが、もし万が一あと二場所11勝以上の勝ち星をあげたのなら、いよいよもって昇進が現実味を帯びてくるだろうし、相撲ファンも黙ってはいられないだろう。それとも、他の選考基準に、幕内在籍〇場所とか、三役経験〇場所とか、優勝経験とか優勝に準ずる活躍があるとかなんとか五月蝿いルールがあるのかもしれないが


もちろん、白星という白雪を(筋骨)隆々と積み重ねた富士の高嶺、の尊い活躍の方をより賞賛すべきことは承知しております。

まさしく記憶に残る活躍でしたね



それにしてもあのちゃんこ会が懐かしい。