7年目の自分との対峙。 | ✟✟✟蠢く手記✟✟✟

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地下都市DTMの沼に溺れてしまった漢の成れの果て

いよぉ。

蠢くリード曲でライブしたら皆さんの何かが吹っ飛びます。

こんばんは。やなぎです。

ねぇ、元気してる?

ねぇねぇ、元気にしてんのかよぉーーーーーーーーーーー!!!!

元気ですって言ってくれよなぁ。

さぁ、blogは毎回ディープなの書いていくよ。

さぁ、いこうぜ。夏と秋について2つ書くことがあるかな。





この夏。

制作はもちろんおれは忘れられないほどの濃密な時間を、悔いなく駆け抜けたよ。

ジンくんとの再会を始め、本当に幸せだったと呼べる日々。

「夏の鼓動」をきっかけに、おれの夏は間違いなく生涯忘れられなくて、あたたかくて、キラキラした夏になった。

制作過程だった摩天楼(仮)、

苦悩している蠢くリードトラック、

その他埋もれている楽曲たちの欠片、

推移する毎夜毎夜の歌のワンフレーズ、

決まって深夜になってしまったけれど、音楽をやれてること以上に、それらを聴いてもらえることで、こんなにも幸せを感じられた瞬間。

その1日1日を振り返れば、涙が溢れるほどに特別なギフトを感じていた。

毎日が感謝の念で包まれていた。

濃密な制作過程の中、その一瞬一瞬を聴いてもらえることがいつも温かくて。

杞憂な時間。

宝物のような時間。

おれには勿体ないくらいの夏だった。

自然とバンド時代も重ねてしまう。

どんな人間関係でも、メッキを纏ったばかりの間もない関係は、綺麗事で安定するのかもしれない。

しかし、綺麗事から絆を深めていくには、時には本音を擦り合わせていかなければならない時が必ずやってくる。

それを乗り越えるも乗り越えないも試される。過去の自分に。

自分の行動が意図せず裏目に出ても、恥じない心で正当に向き合えていたという自負があるなら、最後は想いやりと愛情が優しく残るって信じてる。

思い返せば、夏に強く鼓動を感じるのは、絆と呼べる前に、あまりにも大切な人と自分はすれ違ってきたな…って、そう感じています。

迎合や寄り添いを望んでも、咀嚼して理解するタイミングが数時間でも遅ければ、人の気持ちは2度と戻ってこないことも。

それでも、この夏に駆け抜けた思い出に、こんなに幸せな時間を共有できたことに感謝しかありません。






あぁ、今回の記事はさ、本当は10月1日に投稿したかった。

なのに、

制作がぁ→制作がぁ→制作がぁ→

の連続で見送ってしまい、思うことも重なって今日になった感じ。

まだ続くよ。

しっかりついてきて。

ここからは少し重い内容になるけれど、今回はごめんねだぁよ。




ついに10月になってしまったんだよね。




YouTubeで夏の鼓動、摩天楼(略笑)、Twitterなら蠢くの断片たち、ここを読んでくれてるなら一度は聴いてくれたのかな?

いや、二度?いや、三度?何回?



ありがとありがと(笑)



曲は一生残る。

一生だよ?

尊い、制作こそがおれの核だよ。

5月からマイクや機材を見つめ直して、今のおれの歌のスキルを100%発揮してる。

歌に関して言えば、過去最高のクオリティーでRECできたと思ってる。

ライブで会えないなら曲で会える。

素敵だよね。

ふと思い出した時でいいから、イヤホンで音に触れてほしいな。






ふぅ…
今回は文字を打つのとても緊張するんだよね。ここから本題を書いていこうと思う。






数年前に難病宣告されてから、毎年10月は1年の中で最も苦手で、最も心が不安定になる月なんです。

皆も知っての通り、おれは「骨髄異形成症候群」という難病に蝕まれている。

骨髄の中で白血球が正常に作られない厄介な病気です。

こうしている今も、明日も、明後日も、一週間先も、身体の中ではいびつな白血球が永遠と作られ続けてゆく。

白血球は、外的からのウィルスを倒してくれる免疫力そのもの。

貧血になりやすい女性でも、採血すれば白血球は4,000〜くらいの値。

おれはどうだろうか。
700〜ほどしかない。
しかも形はいびつだ。

つまり、普通の人がかからないような微弱なウィルスにも感染してしまう恐れがある。

たまに微熱が続く所以もここにあるのだと思う。

当時、主治医から集団リスクのあるバンドはやってはいけないと警告された。

しかし、何もせず、楽しいことも我慢して、食生活も制限されて、ただ健康だけを気遣って家で籠もって生きるって、おれには何の意味も見出せなくてさ。

一度は奈落に堕ちた身でも、どこまでも音楽バカで散っていきたいと腹を括ったんだよね。

むしろ、今もライブする気満々だ(蠢くであと一度だけ笑)





コ、コ、コロナのクソヤローがーーーーー!!





不思議なことに、バンドやって、ライブやって、生き甲斐に夢中になると、その時だけは自分が難病だということを意識しなくなる。

この頃から熱が出る頻度も確実に減っていた。

ギターからボーカルにスイッチして、歌に生きていくと決めてからは、さらに高熱が出ることは無くなった。

凄く不思議な体験です。

他人に決定権はなく、他人に生かされることもなく、己の人生の舵は、命かけてでも自分でとる。

体現だろう。

きっと精神が肉体を凌駕している。

それは今もね。

実は、検査で行くべきはずの病院も、去年の夏から電話かかってきても全てシカトしてる。

病院にはごめんなさいだよ。

去年から病院に行かない理由はシンプルなんだ。

行っても治療法がないから。

毎月毎月強制的に病院に行って、機械的に毎回大量に採血して、体調はいかがですか?とか、何百回も聞かれることに違和感を感じてしまうようになった。

心のどこかで命の延命を望んではいない。

誰かのために生きたいと願う理由も無くなったなら、おれの命の使い道はどこに向かえばいい。

治療法のない診察は、ただ自分の寿命を砂時計のように宣告されるだけの…

悲しいことにこの難病に完治の二文字はないのだ。

唯一危惧しているのは、いびつな白血球が増殖し続けることから「白血病」を発症するリスクが極めて高いこと。

もし、余命通りに発症したら、好きな場所にも行けなくなって、会いたい人にも会えなくなってしまう。

だから、大切な人だと思える人を1日でも長く愛していきたい。





さぁ、、、今回一番勇気がいることを書くぜ。





おれが白血病を発症するまで、7〜8年が境だと余命を宣告されたわけだが…その7年目がまさに今年なんだよね。

時が進めば進むだけ、命の灯火は小さくなってゆく。

ここで10月が絡んでくる。

自身の誕生日…24日を迎えること。

今年が一番怖い。

だって、誕生日を迎える度に余命のカウントを−1しなければならないから。

できたら笑っていたい。

誰かから何か祝いの言葉をもらってさ
「今更もう勘弁してよ〜」なんて言いつつ、自分が生まれた誕生日ってヤツを心のどこかで噛み締めていたいよ。

去年も一昨年も、
三年前も、
その前の年からも、

10月1日〜24日までがおれにとっては恐怖でしかない。怖いんだ。すごく。

この文字を打ってる今も、意識すると指先が震えてくる。

それほどに誕生日に向かう日々を怖いと本能で感じてる。

なんかもう、、、






命の役満リーチかかってるみたいじゃん(笑)





そのせいか、今月1日に入ってからのおれは正常な思考ができていないことが多くてさ、確実に周囲に多大な迷惑をかけてると思うとさらに凹んでくる。

ジンくんにあたってないかなぁ、とか(甘えともいう笑)

さっきイヤホンで聴いた曲も、

今朝何を食べたのかも、

やるべき作業で過ぎたことをまた新しく始めてたり、

シャワーをただ1時間くらいたったまま浴び続けて何も手につかないとか、






うわぁ、、、やっぱり文字に起こすとやべぇ。ここだけ聞くと相当イッちゃってるんだけれども(笑)





でもね、こんな自分でも病んでいると思っていないんだ。





卑下もしていない、こんな運命だからこそ、人を愛することにも素直になれたから。

つまり、人に感謝することが増えたから。

ありがとうが沢山言えるようになって、

ずっとニコニコしていたいって、

できるだけ争いもなく、

ずっと笑顔で、

やりたいことができて、

美味しいご飯を美味しいと思えるこの平和が続きますようにって、

同時に国内外の情勢にも前のめりで考えるようになった。

たとえ今更だとしても、福島に行って、現地の人から命の大切さや、同時にテレビでは報道されない人間の残酷さも知った。

メンタルに関わる仕事にも就きたくなって、がむしゃらに勉強して資格も取得した。

当時、おれがかけて欲しかった言葉を、形を変えて誰かに届けたい、そう思うようになって歌詞を書くことにも意味が深まった気がして、それが全て曲に昇華されている感覚。

その果てにやりたいことが今ならはっきりわかる。

もう何度も言ってきているが、蠢く先にたった一度、池袋EDGEでライブすること。

それと、ジンくんと2人で新しい音楽を、ワンフレーズでも多く残したいという夢。

そして、できたら身体に自由が利く限り、日本の各地、あらゆる場所でまだ知らない日本の文化に触れてみたい。

もっと言えば、世界遺産も1つくらいは生で観たいよね。

マ、マ、マチュピチュとか!!

あー!!

あとやっぱりピラミッド!!クフ王の!!

飛行機乗ったらめっちゃようの?

ヤバいのかな?(笑)

だったら船で行ける場所?太田胃散とか!

え?胃薬!?

なんだっけ、太田なんとかって観光地(笑)

そう。

それらがまた歌に還元されるならもうおれは何も望まないんだよ。

だから、◯にたいなんて微塵も思わないし、思った自分を絶対に認めない。

求めてくれる人が一人でもいる限り、その人の求めてくれる「らしさ」をワンフレーズでも残していきたい。

限りないと思います。

残すという概念、わかってほしい。

もはやおれの残す音は、娯楽というより、生き様になっているんだけれど、この生き様にもう少し付き合ってほしい。

この生き様の果てにある蠢くライブ。

コロナ…タイミングがバッチリ合うところで然るべき状況下で会いたいからさ、絶対絶対来てよ。

何より蠢くリード曲、全てこの曲で皮切りになるだろう。



さぁ、、、終幕だ。



今回は、正直に自分の気持ちを文章にできたと思う。

blogの結末は恐怖では締め括らない。

10月、この蠢くリード曲へ全てを捧げたい。

あの夏があったなら、今ならもっと深くいい歌が歌える気がするから。