最近、人生後半戦を考えるようになった。

 

この先、体力も衰え、病気や老後の心配が増え、確実に親は先に死ぬだろうし、悲しいことばっかりだろうなあと思うと、一体どんな気の持ちようで毎日を過ごしていけばよいのかと途方にくれる。

そんな先のこと心配してもしょうがない、と頭でわかっているのだが、気持ちが落ちているときはそんなことを考えてしまう。

 

そんな落ち込んだときのために、私は日ごろから、心に刺さった言葉をスマホメモに集めるようにしている。

 

最近刺さったのが、「楽しかった思い出が、未来の自分を支えてくれる」という言葉だった。

 

これはネットのコラムで見つけたのだが、最近知人からも同じようなエピソードを聞いて、デジャブだなと思ったので印象的だったのだ。

 

その知人は、もう結構な年配の方で、だいぶおっとり(悪く言うと面倒くさがり)な性格の方なのだが、若いころ活動的な友人がよく旅行に連れ出してくれたそうだ。

その方は、面倒くさいと思いながらもしぶしぶ付いて行っていたそうだが、時々その時の旅行のことを思い出し、「ここ行ったなあ」「楽しかったな」と思うらしい。

その友人は数年前に亡くなってしまったそうなのだが、今ではとても感謝しているとのこと。

 

それを聞いて、私も今までの楽しかった記憶を振り返ると、旅行の思い出が多いことに気づいた。

 

きっとしばらく一緒には行けない友人(現在子育て中)との旅行とか、刺激が多かった海外旅行とか、友達親子で行った女子旅とか…

 

どれも楽しかった。いろいろ行けてよかったなと思った。

 

そういう思い出は、やはり家で動画見てたり、日常の中では作れないものだ。

 

確かに、将来年老いて体が動かなくなっても、頭が正常であれば、私の思い出は消え失せることはない。

いつでもどこでも、振り返って楽しい気持ちになれるはず。

 

私は、これからもこういった楽しい思い出を積極的に作りにいこうと心に決めた。

 

未来の自分のために、今できることを。

 

 

ずっとひとりはさみしいけど、誰かといるのはめんどくさい。

 

こんな相反する矛盾する気持ちを、私はずっと抱えている。

 

この「さみしい」という思いが私のなかから消えたら、どんなに楽だろうと常に考えている。

 

私は人といると、無意識に気を使ってしまう。

それは親でも気心知れた友人でも、「親しき中にも礼儀あり」で、ある程度の気は使っている。

だから誰かといるとかなりの労力を使い、ひとりになるとどっと疲れを感じることが多々ある。

自分にとって、ひとりの時間は生きていくうえで必要不可欠だと思う。

 

最近、やっぱ人間関係めんどくさい、と改めて思ったことがあった。

私は二人よりも三人でいるほうが好きなので(自分が話さなくても会話が進むのが楽)、職場で一人からランチに誘われると「じゃあ○○さんも誘いましょうか」と言って三人で行ったりしていたのだが、最近は「実は○○さんと仲良くないんだよね」などと後から言われたり、暗に三人で行くならと断られたりするようになった。

しかも、今まで結構仲良くしてきた人が「○○さんとは仲良くしなほうがよいよ」と言い出し、私は別にその人のことを嫌いではないので普通に接していたら、仲良くしてきた人から距離を置かれるようになった(気がする)。

大人なのに、みんな好き嫌い激しい・・・

社会人なんだから職場でくらい表面上仲良くしておけばよいのに。

あーあ、ほんとめんどくさい。

 

だけど、ひとりでのランチが続いたり、家でひとりでいたりすると、ふと誰かと触れ合いたくなる時がある。急に「なんかひとりはつまんないな」とさみしくなる時がある。

 

めんどくさくない、楽しいだけの人間関係ってないのかな。

 

まったく気を使わず、一緒にいて楽しいだけの相手がいればいいのに。

 

行きつく先はペットくらいしか思い浮かばない。。

 

たぶん、私はこれからも、このさみしいとめんどうくさいの間をずっとゆらゆらしながら生きていく気がする。

 

今の自分をまるっと全部受け入れられる未来は遠い。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この歳でお恥ずかしいのだが、初めて新人を指導することになった。

どうなることか(仕事ができなさすぎて新人から馬鹿にされるor呆れられるのでは)と思ったが、今のところ何とかうまくやっている。というか、新人はなんでもある程度ソツなくこなし、積極的に周りとコミュニケーションをとり、かつ自然体で裏表ないのに適度に気を遣えて、とっても感じがいいのだ(個人差は大いにあると思うが)。

 

それに比べて自分の新人の時ってなんだったんだ…

 

比べなくてもよいのについ比べてしまう。

常に受け身で、挨拶もままならず、ホウレンソウもできず(いまだに足りない自覚あり)、なんの知識も持ち合わせず、教えてもらったことをそのまま遂行するだけだった。

 

この前なんか新人にエクセル関数を教えてもらう自分がいた。

 

(恥ずかしい…)

 

部署を移動した数年前から仕事内容が変わり、エクセルやアクセスの必要性を感じていたのに…

コロナ禍で家に居る時間も増えたはずなのに…

Netflixなど契約して、愛の不時着を見て泣いていた自分、今なら「目を覚ませ!」と言いたい。(いまだに配信見てる)

そんな時間あったら、Youtubeでも見て勉強する時間があったのに。。

 

今更後悔しても遅い。。

 

でも久々に仕事終わりに勉強したら、一日の終わりがとっても充実したように感じた。

新しい知識を得るって、こんなに充足感があったんだなあ。

 

これからは配信を見る時間を減らして、勉強や読書の時間を少しでも捻出しよう。

 

Z世代の新人に感化され、そんな思いを抱き始めた自分。

 

逆に新人に教えられていることに気づく。ありがたい。

 

これからもいっぱい勉強させてもらおう。

 

過ぎ去った時間は取り戻せないけれど、これからの時間を少しでも満足して過ごせるように。