12人産んだ助産師さんは、昨年2020年のYouTube開始以降、離婚後数年間のことにたびたび触れています。
しばらく観察してきて、その時期に関する発言は、助産師さんの記憶は曖昧で、慎重に受け取らないといけないのでは?と思うようになりました。
今回はそう感じた理由を書きます。
教員から保護者へ気になる子どもの発達の伝え方を見たあとで、その時期に書かれていたブログを読むと、大きな違和感が現れます。
子供の数や出会いの時期と同様、今話すことと過去書かれたことが揺らぐのです。
「そこ、忘れるところ??」ということばかりで、何かをごまかすための意図的な嘘にも見えてしまうのですが。
理解し難いけど、やはり記憶違いではないか、と。
勝手な想像を書きます。
当時の助産師さんは強大なストレスのため、判断力や認知力が欠け、記憶もいくらか失われている。
今の発信は、鮮烈な記憶(例えば連絡帳事件)と、間を埋める後付けされた記憶(自我を崩壊させない形に作り固められたもの)で構成されているのではないか。
助産師さんは、過去から今まで、ご自分の中では一貫して(自分の中の)真実を語っているけれど、後付けの記憶は、他人の目には嘘や誤魔化しに見えるのではないか。
現旦那さんが当時を振り返った動画でこんなことを言っています。
助産師さんは離婚の後、「1年くらいの記憶がない」。
前回の動画にもありました。第7子さんの行動が助産師さんの中で発達障害に結びつかなかったのは「なんでかわからない」。
当時のブログを紹介します。
連絡帳事件のあと、小3夏休みに書かれています。
2017年 第7子の宿題
宿題はいくら言ってもやらない。
忘れ物だらけ。
嫌なことがあると授業中でも教室から逃走し、
トイレに閉じこもって
何時間も出てこない。
いったんストライキが始まると
給食さえも全拒否で手をつけない。
助産師さんはこれを「個性」とし、肯定的に受け止めます。
やりたいことはやるけど、
やりたくないことは絶対やりません。
これは、言い方を変えれば
『ななちゃんは軸をブレさせない!』
な、わけですね〜。
ある意味、カッコイイです。
本当に発達障害を疑わなかったのでしょうか?
「一般的には」間違いなく、関連付けるところです。その上、育児経験すでに豊富、数万人ものママさんたちの声を聞き続けてきた助産師さんです。知識がなかったはずがない。
連絡帳事件の後です。
「何言っとるかわからんっちゅうんや!」前の動画で激しく罵られた先生も、「一般的には」充分保護者が行動に移せるだけの情報を伝えていたのではないでしょうか。
伝えても伝えても届かないほどに、聞く耳が塞がれていたのではないでしょうか。
そして、2年の時に耳を開いてもらおうと先生が書いた連絡帳は、言葉選びを間違い誤爆し、より一層厚く塞いでしまっていた。
2022/02/15追記。
後出しブログがありました。先生はきちんと言葉を選ばれていたようです。
10人産んでいた助産師さんがようやく発達障害の可能性に結びつけることができたのは、このブログの後だったようです。
3年2学期から翌4年次までにおそらく診断を受け、支援学級への抽出につながり、4年の秋に振り返っています。
今日は小学校の個人懇談に行ってきました
ちょっとした友達の一言に過剰反応し、
感情が抑えられなくなって大爆発。
物は投げるわ、机は蹴り倒すわ、
3年生になると、とうとう教室どころか
学校を飛び出してフラフラ歩いているところを
地域の方に保護されたり、
勢いあまって教室のガラスを割ってしまったり、
他の教室に立てこもって、誰も中に入れず
みんなに迷惑をかけ、全職員総動員で説得にあたるなど、
次から次へと問題を起こしてくれました。
〝発達障害〟
なんとなく感じてはいたけど、
間違いなく、そうだろうな。
塞いでいた耳を開くには、順調に強化されていった第7子さんの行動と、助産師自身の気づきを待つほかなかったようです。
子供達の危機には耳を塞ぎながら、「今考えたらなんでかわからん」衝動を、助産師さんは次々と実行に移しています。
流産を経て人工授精までして第11子妊娠を望んだこと。
一度は諦めようとしたのに、手術台から飛び降りてでも産む選択をしたこと。
それはなんでだろう。
次回はそこを考えてみます。