京都でタクシー乗務員をするようになり4年になります。
先月は65歳になり‘正社員ではなく一年契約の嘱託となりました。
外国からのお客さんは少なくなりましたがやはり京都は外国からのお客さんが多く、いろんな国の方をお迎えしています。
タクシー乗務員はいつも前を向いて運転するので、後部座席に乗車されるお客さんとは後頭部で接客します。
ですから、見かけより「声」に注目ならぬ注耳するのですが、本場の英語(たぶんアメリカ?)を聞いていて思うことがあります。
それは「話し声が『響く』」ということです。
言葉の発声方法が違い、まるでお腹の底からの「音」。とても通じやすい「音」なのです。
中国語もそうですが、日本語に比べ英語や中国語は「伝える」ことを大切にしているように思います。
大陸で自分の思いや情報を間違いなく伝えるためには大きな声で、そして響く声の方が効果的。
そんな気がします。
もちろんすべての外国の人たちがそうではありません。
女性はおしとやかで上品な発音でお話をされます。
でも、大きな体で迫力のある男性などは声だけではなく振動までこちらに伝わってくるほどです。
これはタクシーの車内という狭い空間だから感じるのかもしれません。
でも、外国語の発音だけではなく、息の量というか体の響きを感じるのです。
これは今だけではありません。
中国人の中国語も大陸という厳しい環境の中で伝えたいことをしっかり伝えるために大きな声で体全体を使って力一杯話すように思います。
一度、山東省の田舎で、街を散歩していると、トラックに引っ掛けられた中国人が、そのまま逃げていくトラックを追いかけ、大きな声でトラックを呼び止めている光景を見ました。
その人はトラックに引っ掛けられて怪我をしたのでしょう、片腕をかばうようにしてトラックを追いかけながら大声で叫んでいるのです。
日本ではこのような光景はまず見ることはないと思いました。
また、日本にいる中国人の友人のお子さんで、中国で生まれ数年中国で育ったお子さんと、日本で生まれ育ったお子さんでは、同じ中国語を話していても、声の質というか、太さが違うのです。
中国で生まれたお子さんは、太くたくましい声です。
今いる会社の同僚もそうです。
中国人で日本語を話すのですが、その「音」が日本語が母語の人とは違います。
太く大きく響く「音」なのです。
こんなことを感じながら改めて思い出すのは、コンサート会場での音の大きさと音の響きです。
映画館もそうですね。
コンサートはCDで聴くのとライブでは(何かが)違う。とよく聞きますし、私もそう思いますが、それは「音」以外に伝わるものがあるということではないでしょうか?
コロナ禍では、人との接触があまりなく、オンラインで仕事をしたり会議をしたり面接をしたりするようになったと思います。
外国語を学ぶ環境も、コロナ禍以前の教室などで講師から直接学ぶというよりZoomなどでオンラインでのレッスンが多いのかもしれませんが、実際に会って(ライブで)教えてもらうのと違うのではないかな?と思います。
こんな風に目に見えないものや体で感じることなどって案外大切。
そんな気がします。










