「教える」ということ | SC神戸中国語スクール 京都校

SC神戸中国語スクール 京都校

全くのゼロから、ビジネス会話、通訳レベルまでしっかりと学べる中国語スクール、SC神戸中国語スクールの京都校のブログです。

私の人生は「教える」ということととても関係のあるものだと思います。

中国にある日系企業に赴き中国語を使って経営を立て直すことも、そして、中国語を「教える」時にもいつも「教える」ということに関係していました。

 

先日、NHKの番組で「教える」ということについてその難しさ、誤解について説明がありました。

世間ではよく「ちゃんと教えたのにどうしてできないんだ!!!」という場面があります。

 

仕事の先輩なり、講師や教師がちゃんと「教えている」のに、部下や受講者、生徒ができない。

自分はちゃんと教えたのにそれを聞いていない部下や受講者、生徒が悪いかのような場面です。

 

でもね、「教える」ということはどういうことなのか、しっかり考えた方がいいと思います。

 

自分はちゃんと「教えた」と思っていても、実際は、ただただ「説明している」に過ぎないということが多々あるように思います。

 

今のタクシー会社で、教官から教えていただいたことに、領収書を印刷する小さなプリンターの紙を交換する仕方について教えていただいた時に、交換するロール紙の方向について、教官は「トイレットペーパーの逆」

と教えてくれたのです。

 

一般的には「こうやるんだ」と実物を見せて「説明」するのではないでしょうか?

 

でも、それでは「教える」ことにはならない。

「教える」というのは相手が理解しないと教えたことにならないのです。

 

例えば、逆上がり。

これを「教える」のに、ただ説明しても教わる方が逆上がりができるようにならなければ教えたことにならないのと同じように、「教える」ということは教える相手が理解しなければならないのです。

 

「トイレットペーパー(の向き)とは逆」

と教えていただいたので、私は完全にロールペーパーの交換の仕方をマスターしました。

 

「教える」というのはこのように受講者が理解する「コツ」、しっかり腑に落ちる理解の仕方なり、コツを説明することだと思うのです。

 

中国語を教える。

ネイティブスピーカーが中国語を教えると言っても、それはテキストの説明であったり、中国人の発音を実際にするだけ。

 

日本人が中国語を学ぶ上での「コツ」について説明することなく、相手の理解を確かめることなく、ただ一方的に説明するのは「教える」のではないでしょう。

 

日本語を母語とし、日本で生まれ育った人がどうやったらより効果的に中国語を学ぶことができるか。

その「コツ」を教えることができるのは一体誰なのかということを考えていただきたいと思います。

 

「教える」というのは本当に怖いことです。

自分が偉いと思ってしまう。

相手を見下してしまう。

謙虚さを失ってしまう・・・

 

中国語に限らず、何かを学ぶ時にはこの「コツを教える」ことを意識されると本当に「教えてもらう」ことができると思います