『頭に来てもアホとは戦うな!』
Method with the stress of human relations as power.
不争辩的智慧
bù zhēngbiàn de zhìhuì
第6章 アホとではなく自分と戦え!
跟自己较劲,别跟小人一般见识
gēn zìjǐ jiàojìn , bié gēn xiǎorén yībān jiànshi
自分の人生に満足できるかが、すべて
对自己的人生满意才是硬道理
duì zìjǐ de rénshēng mǎnyì cáishì yìng dàolǐ
この中国語「硬道理(インダオリ)」とは、文字通りの意味は「絶対の道理」である。
中国改革・開放の「総設計師」と呼ばれた、故鄧小平氏が1992年に南方を視察の際に言った「発展才是硬道理」が有名である。
直訳すれば、「発展こそ絶対の道理である」となる。
鄧小平氏は、この言葉に「発展こそ、他の何物にも優先すべき事柄だ」という思いを込めたのであろう。
前々回、「ネットを見る暇があったら自分と向き合え」がありましたが、今回はその続きのような内容です。
ACミランの本田圭佑選手も、ニューヨーク・ヤンキースのマー君こと田中将大選手も、自分と向き合っている人間だと思う。
AC米兰俱乐部球员本田圭佑、纽约扬基队投手田中将大都是敢于直面自我的人。
AC mǐlán jùlèbù qiúyuán Běntián guīyòu 、 Niǔyuē Yángjīduì tóushǒu Tiánzhōng jiàngdà dōu shì gǎnyú zhímiàn zìwǒ de rén .
から始まっているのですが、著者は、この二人がメディアや観衆の評価に流されないところから自分と向き合っている人間だとしています。
特にマー君が、オープン戦のブレーブス戦で好投し、スタンディングオベーションを受けたとき、マー君は、
「自分では納得いかない投球だったので、どうしたらいいかわからなかった」
“对刚刚的头球并不满意,所以面对大家的称赞有点手足无措”
“ Duì gānggāng de tóuqiú bìngbù mǎnyì , suǒyǐ miànduì dàjiā de chēngzàn yǒudiǎn shǒuzú wú cuò ”
と述べていたと言います。
このように自分の納得いかないプレーであれば喜べない。という点で、この二人は自分と向き合い自分の基準を持っていて、他人の評価や他人の目に影響されなくなり、そういうものからのストレスを感じにくくなるとも。
そして、よく言われる事ですが、人はこの世に別れを告げる時にどのように思うかということが大切なのでしょう。
最後、死ぬときは一人であり、あの世に持っていけるのはあなたから見た達成感くらいだろう。
人生の意義とは、ざっくり言えば自分が満足するかどうかである。
当你走到人生尽头时反正是孤身一人,能够带走的也就只有自己心中的成就感了。
总而言之,人生的意义就在于让自己满意。
Dāng nǐ zǒudào rénshēng jìntóu shí fǎnzhèng shì gūshēn yī rén , nénggòu dàizǒu de yě jiù zhǐyǒu zìjǐ xīnzhōng de chéngjiùgǎn le .
Zǒngéryánzhī , rénshēng de yìyì jiù zàiyú ràng zìjǐ mǎnyì .
でも、著者も書いていますが、日本の社会というのは人の目を非常に気にします。
ですから他人からの評価に左右される人生を送っている。
その上、人間は周りに影響されやすい生き物。
だから、最終的には自分が納得できることが達成できたか、という自分だけの基準が重要だ。
だからこそ、自分と向き合う必要性があると力説します。
この後、自分と向き合う具体的な方法として、幽体離脱や旅行、ジョギング、トイレ・お風呂などを挙げています。
トイレやお風呂の鏡の中の自分と向き合うことも勧めていて、
自分に見せる自分の表情には本音が出ている。
自己对自己做出的表情会展露你内心真实的想法。
Zìjǐ duì zìjǐ zuòchū de biǎoqíng huì zhǎnlù nǐ nèixīn zhēnshí de xiǎngfa .
と言います。
そうですね。
私自身振り返って思うのは、他人の目を気にしている。
まるで他人の人生を送っているように。
でも、死ぬ時には人生を振り返って失敗もたくさんあったけれど、人様の役に立った人生だと思いたいです。
それならばそういう人生を送るべきですよね。
この9月からお酒を控えています。
節約のためでもあるのですが、私の人生(半生?)は酒の上での失敗がたくさんあります。
今生が酒の上での失敗について学ぶためのものなら、もうそろそろ卒業した方がいいのかも知れません。
と思う、今日このごろです。
(息子の足のリハビリ場所の近くの護王神社のさざれ石)