やる気を消え失せさせてしまう言葉。
打击 积极性 的 语言 。
Dǎjī jījíxìng de yǔyán .
というのがあるそうです。
それは、たとえば夫婦間なら夫が妻に対して、
「オレが働いて飯を食わせてやってるんだ」
“ 是 我 在 工作 养活 你 ”
“ shì wǒ zài gōngzuò yǎnghuo nǐ ”
つまり対等の立場ではないということですね。
会社でなら、社長が社員に対して、
「給料を払ってやってるんだから、ありがたく思え」
“ 是 我 给 你们 发工资 , 所以 要 对 我 感恩 ”
“ shì wǒ gěi nǐmen fāgōngzī , suǒyǐ yào duì wǒ gǎnēn ”
こんな風に言われるような社長、会社なら誰もがやる気を失いますね。
そしてたとえ言葉に出さなくても態度や顔つきを見ていたらわかるものですよ。
ところで、この、
“是我……”
という表現、他の誰でもない私だ!という感じを感じていただけるでしょうか?
“是”というのは英語のBE動詞に比べかなり主張しています。
さて、話をもとに戻します。
似鳥会長は会社と社員、社長と社員も持ちつ持たれつだといい、さらに次のように言います。
私は常に、「社員のおかげで食べさせてもらっている」と感謝しています。
我 经常 心怀 感激 地 说 : “ 我 是 靠着 员工们 才 有 饭 吃 。 ”
Wǒ jīngcháng xīnhuái gǎnjī dì shuō : “ wǒ shì kàozhe yuángōngmen cái yǒu fàn chī . ”
素晴らしい社長、会長ですね。
こういう社長、会長のもとでなら誠心誠意働くでしょう。
外国語スクールも同じでしょう。
教えてやってる。という態度では受講者は学ぶことに対するやる気が失せるのではないでしょうか?
「教えることは学ぶこと」
【今日の中国語】教学相長で取り上げました。
となると、中国語を教えていると言っても、学んでいるわけで講師が受講者に受講料を渡さなければならない。
それではスクールは成り立たないのですが、私は中国語を教えることでお金をいただくのは何か不自然だと思っています。
学び方を說明するのならまだわかりますが、それもアドバイスなので隠居した老人が自分の経験から思うところを好き勝手に話すのですから、これもお金をいただくのは申し訳ない。
そう思うからこそ寺子屋中国語をしているのです。
最後に中国語のポイントを。
“ 是 我 给 你们 发工资 , 所以 要 对 我 感恩 ”
の
“ 所以 要 对 我 感恩 ”
“要 ”の位置にご注意下さい。
中国語は動詞が重要。
何度も申し上げています。
そして表現を豊かにするために、動詞の前や後ろに色んなものがくっつきます。
“对~”は前置詞で「~に対して」と說明がありますが、私はこれも動詞だと思っています。
そして「~が必要」という“要”は動詞の前ですから“要对”になる。
そうではなく、ただ「“要”という助動詞は動詞の前に置く」という風に思っていると、“感恩”の前に置いて、
“所以 对 我 要 感恩”
としてしまうと、中国語らしくなくなります。
それにしても、感謝とは本当に大切ですね。
感謝することができればあらゆることが解決する。
そんな気がする今日このごろです。
(ヤマン!メンタリストの人生はあなたの思うまま、いつでも変えられる。からお借りしました。)
