私自身の経験から、中国語を教える(というか説明する)ことが天職ではないかと思っていたのですが、どうやらそうではないようなので資料を処分したら、正規社員の仕事の口が見つかり、そこでは貿易や中国語、英語を活用し、また、工場管理や人事管理の経験が役に立つので、この仕事をするためにこれまでの人生があったのではないかと思うほどなのですが、中国語を教えることも諦めたら昨日電話があり、中国語を教えて欲しいとの事。
何か欲しがれば逃げ、手放すと手に入る。
なんか仏陀の教えのようですね。
ところで、この「教える」ということについて、今読んでいる、
アドラー流 英語で幸せになる勇気
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に次の一節があります。
Education(教育)の語源は、外に(能力、可能性を)引き出すという意味で、instruction(訓育)の語源、「中に詰め込む」という意味とは違う。教育とは、文字通り、子供の可能性や能力、才能を引き出して、実現させて行くことなのである。
(P112)
このことはよく言われることですね。
そして受験が目的の学校教育ではこのことはわかっていても詰め込み式になってしまうようですが、語学でも似たような状況があるのではないでしょうか?
受講者もこれまで「詰め込み式」でしか学んでこなかったので「詰め込み式」で教えてもらわないと不安になるのかもしれません。
でも、やっぱり「教える」ということはその人の持っているものを引き出すことのようです。
中国語の“教育”の語源(“词源”)は次のように説明されています。
“教育”一词的英文词汇 educate或education来源于拉丁语ēducātiō,意思是“引出”。
この本の前半は英語学習のノウハウですが、後半では筆者自身が英語によって切り開いてきた実話が紹介されています。
そこに、著者が高校の教師をして気付いたこととして以下が紹介されています。
高等学校の教員をやっていて、一番大切なのは生徒の心を正確に掴み、そして彼の抱えている悩みとか苦しみを真に理解してあげることが、やはり最も大切であると気付いたからだ。
(P136)
とあり、このことに気付いた著者は心理学を学びに大学院に進むのですが、それはさておき、語学でもそして学校ではなく街の語学スクールでもこのことはまったく同じだと思うのです。
私自身この事に本当の意味で気付いたのは日本語教育能力検定試験の準備をする中ででしたが、人に何かを教えるというのは自分の知っていることを説明するだけではなく、受講者を理解し、受講者が求めているものを提供する。それも受講者の能力を引き出すようにすることだと思ったのです。
この他にも著者の人生はとても興味深く、語学教師や講師には是非読んで欲しいと思う、今日このごろです。