SC神戸中国語スクール 京都校

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昨日、Yahooニュースで南明奈さんのインスタグラムが紹介されていました。



南さんは、息子さんの発語状況について次のように説明されています。


 「うちの息子くんは発語はスローペース。『パパ、ママ』を言えるようになったのが2歳半、そこからしばらくは数個の単語のみ」と、発語が少し遅めだったと打ち明けた。 だが「今年9月頃(3歳2カ月)から言葉が爆発!急に『牛乳、ちょーだい』と。二語文話したーと思ってたら、次の日には『牛乳 もっと 飲む』と三語文」と、突然発語のペースが上がったという。 そして「3歳5カ月の今はずっとなにか話しているおしゃべりさんになりました」と息子の成長ぶりを報告した。


このニュースを見て、最近読んだ本のことを思い出しました。


日本語を母語とする人が、どうやったら中国語をマスターできるか?

そのことをずっと追い続けています。

英語関係の本もかなり読んでいるのですが、英語学習法についての本は著者の経験を分析したものが多いように思っていたところ、認知心理学者の今井むつみ先生の著書に巡り会いました。


今井先生は科学者らしく、仮説を立て、それを実験することでその仮説が正しいかどうかを研究されています。


今井先生の著書『学びとは何かー<探求人になるために>』の「はじめに」には次のように書かれています。


 人は誰もが「自分で学ぶ力」を持っている。そのことをもっともストレートに教えてくれるのが、子どもの母語の学習である。子どもは母語を学習するとき、文法や語彙を親や先生に直接教えてもらうことはない。そもそも言語を知らない子どもに言語を直接教えることは不可能なのだ。子どもは耳に入ってくる一つひとつのことばの意味を自分で推測し、ことばを繋いで文を組み立てる規則(つまり、文法)を自分で見付け出す。子どもが母語を学習するときに発揮する能力は、まさに「自分で問題を発見し、考え、解決策を自分で見つける」という学習力そのものである。




今井先生の一連の著書を拝読すると、子どもがどうやって言葉を学んでいくのかそれが数々の実験で証明されていく。

長年、中国語や英語に関わって来た私にとってとても興味深く、そして大人が学ぶときに活用できることが多くあります。


大人が中国語を学ぶときにはもちろん、言葉で学んでいきます。

それはその方が効率がいいからでしょうが、そのときに、単に単語や文法を記憶することをしていると、なかなかマスターできないように思います。


南さんの息子さんの発語に時間がかかったのは、


耳に入ってくる一つひとつの言葉の意味を自分で推測し、ことばを繋いで文を組み立てる規則(つまり、文法)自分で見つけ出しているから。

「自分で問題を発見し、考え、解決策を自分で見つける」ことに慎重で時間をかけていたから。


「自分で考える」


大人も中国語や英語を学ぶときに、自分で考えることに時間をかけることが大切。

そんな気がします。



中国語講師をし、落語に興味を持つ私は中国語講師や教師、そして画家などの芸術家、その他身につける技能が必要なこと全てに当てはまることがあるように思います。

それは物事を身につけるのは相当な時間が必要だということ。


例えば、落語に「猫の忠信」という演目があります。

この噺の桂米朝師の枕(落語の本題の前の説明)で次のように紹介されています。


文楽のほぉは人形浄瑠璃で、あれが義太夫で、歌舞伎の「ちょぼ」なんかも義太夫でございますが、文楽の世界てな厳しぃ世界で、こないだ越路大夫さんが引退されましたが、だいぶ平均年齢が若こなったかもわかりまへん。


ちょっとひと頃はね、もぉエゲツナイ世界でっさかいなぁ、もぉ二十年や三十年威張れまへんねやな「あんたどのくらいになります?」「わたいら、まだ三十五年よりしかなりまへんがな」


こともなげに三十五年と言ぅ。我々のほぉやってみなはれ、三十五年ちゅうたらもぉ威張るだけ威張って、もぉ忘れられてる時分ですわなぁ。それが向こぉの世界では「これから」やと言ぅんですな。

https://kamigata.fan.coocan.jp/kamigata/rakugo96.htm


より)


先日、ヒットしている邦画『国宝』を家内と一緒に観て来ましたが、歌舞伎の世界の芸と言うものの厳しさがよく描かれていると思いましたし、噺家の世界でも、米朝師は謙遜されていますが、三十五年どころか死ぬまで芸を磨くと思います。

でも、講師や教師、仕事の世界でもそうですが、十年ほど経験したらもう一人前になったような気になってしまい、威張るだけ威張るようなことがあるのではないでしょうか?


私自身の経験でも、社会に出た頃、会社の先輩が「もう十年選手やから・・・」と謙遜気味ではありますが、どことなく「もう一人前や」と言う自信というか自慢気味たことをおっしゃっているのを聞いたことがありますが、さてさてどうでしょう?


私が中国語を教えだして二十五年になりますが、その間、自分に満足することなく、謙虚で学び続け、そして今も学んでいますが、十年なんてやっと基本がわかった頃。

それからが本当の修行のような気がします。


中国語を学び始めて四十五年。

仕事で使い始め、通訳をして四十年。

日本語を同時通訳で中国語にすることができるようになりましたが、中国語を日本語に同時通訳することはできませんし、通訳についてまだまだ学ばなければならないと感じています。


葛飾北斎について次のように言っていたと紹介されています。


私は六歳の頃から物の形を写生する癖があって、50歳の頃から数々の画図を発表してきたが、70歳より前に書いたものは、取るに足らないものであった。73歳になって、鳥獣虫魚の骨格や草木の成り立ちを理解できた。したがって、80歳でますます成長し、90歳でさらにその奥義を極め、100歳で神の域に達するのではないだろうか。100何十歳ともなれば、点や骨組みだけで、生きているような感じとなるだろう。願わくば長寿の君子よ、私の言葉が偽りでないことを見ていてください。


https://otakinen-museum.note.jp/n/n7071a49ba076?gs=c7533ddea645


)より


中国語や英語、学校で教えたりする技能はその奥義まで極める必要なないのかもしれませんが、いやいや仮にも人様に何かを教えようとするものはあくまでも謙虚に、自分の技能を向上させるべきではないでしょうか?


私は今も日本語を母語とする人がどうやったら中国語をマスターすることができるのかについて研究し続けています。

私の尊敬する日本語教師、笈川幸司先生のように常に謙虚で学び続ける態度が必要だと思います。


https://oikawakohji.com/?fbclid=IwY2xjawOpZrRleHRuA2FlbQIxMABicmlkETFvdjJsUllWdm84dW1WUTFsc3J0YwZhcHBfaWQQMjIyMDM5MTc4ODIwMDg5MgABHomFvb-IZvYgqQ8BT3ibfNZwd78pnxWr--W4ErO41_Y16X3nH52GOlSXHv94_aem_d3r0Rm4emGfZ6Xt-9f-D2A



「言葉は思考の道具」


これは40年ほど前、私が大学で中国語を学び始めた時、教授が教えてくれたことです。


言葉って何か?

英語や中国語など母語以外を学ぶのなら、まずは言葉って何か?をしっかり考えることが必要なのでしょう。

一般的には「言葉はコミュニケーションの道具」という考え方が多いのではないでしょうか?

でも、英語や中国語を学び、それを使い通訳をしていると、「言葉は思考の道具」という教授の考えがよくわかるようになりました。


英語や中国語と日本語とでは語順が違う。

英語や中国語は主語の後に動詞が来る。

日本語は最後に動詞が来る。

なぜ日本語は動詞が最後に来るのか?

この「なぜ」に答えてくれる動画がありました。


語順の違いは、単なる文法の違いではなく、その言語を話す人々の“思考の形”を映し出す。


言葉は思考の道具。

つまり物事を考えるときに使用するのが言語で、それは使用する時にはその人の考え方が現れる。


英語や中国語は主語の次に動詞が来る。

これは話し手が何を言いたい、伝えたいのかがすぐにわかる。

日本語は動詞が最後に来るので何が言いたい、伝えたいのかが最後にやっとわかる。


このことから、英語や中国語話者は自分の考えをはっきりと主張する。

日本語は最後まで聞かなければ何が言いたいのかわからない。


ビジネス世界やスピーチなど欧米文化では結論をまず先に言うことがわかりやすいと勧められていますが。

日本語はそうではなく、結論は最後に取っておく、


このことを、


(日本語は)相手の受け止め方を配慮しながら、ゆっくりと核心に近づく


であったり、


(日本語は)言葉を“競争の道具”ではなく“共感に橋”として使おうとする、知性ある態度そのもの。


だと言います。


最後に、アメリカのある小学校で日本語教育を受けた子どもたちの変化として、


日本語を学んだ子どもは、他人の話をよく聞くようになった。


と紹介されています。


それぞれ出展を調べたのですがわかりませんでしたが、こういう考え方もあるのだと思いました。


確かに日本語は、人の話を最後まで聞かないと話者が何が言いたいのかわかりません。

同時通訳をする時には特に、日本語話者が話し出すと同時に通訳しますが、結論がどうなるかわからないので、最後に結論がはっきりした時に、話者が話したいことを通訳するように意識する必要があります。


英語や中国語はまず結論から。

日本語は結論を導き出すまでに色んな状況を丁寧に説明する。

この「思考の形」「考え方」を理解すると、英語や中国語を学び、マスターする時に大いに役に立つと思います。


そういえば、以前、このような本がありました。




この本の帯には次のようにあります。


英語は「主張」が目的

日本語は「共感」が目的。


カナダで25年間日本語を教えてこられた筆者が分析する日本語の素晴らしさが紹介されています。


中国語も語順が英語に似ていて「主語+動詞」ですからやはり「主張」が目的なのでしょう。

でも、日本語は「共感」が目的。


中国語や英語を学ぶ時、日本語を使って考えているままでは時間がかかると思います。

「共感」を目的としているのに、「主張」しなくてはならないので尻込みしてしまうと思います。


外国語を使っている人の中で、外国語を学び、使用するためのコツとして、使用する外国語の国の俳優になったように、人格を変える。ということがありますが、これも「言語は思考の道具」ということなのでしょう。

そして、外国語を学ぶというのは、その外国語を使用している人々の考え方を理解するということ。

言葉が違うと誤解も多いのですが、そもそも考え方が違う。ということを理解していると、誤解も少なくなるのではないでしょうか?


動画はこの他にもあります。

「なぜ」「日本語」「動詞」で検索すると複数出てきます。

興味のある方は是非検索してみてください。