元記事 

 

 

戦争という単語ではなく、

人殺しとあえていいたい。

 

人を殺せば、

殺される覚悟をする必要がある。

 

その手段については、

論じても意味がないだろう。

 

銃での殺しが原爆や、

いずれはもっと非人道的な兵器へと発展していくのは確実だ。

 

だからこそ、

平和な時から武器の削減や制限が必要なんだ。

 

あと、

特攻隊についての違和感について言いたい。

 

飛行機で特攻した若者たちの話はよく記事になるが、

陸軍の歩兵にとっては、

毎日が特攻みたいなものなんたが、

それが「特別」として取り上げられたことはすくないんじゃないかな?

 

特攻機の数十倍の兵士たちが死んでいるのにだ。

 

ちなみに、

この違和感を強く感じる個人的な原因は、

子供の頃に満州での対ソ戦の話をよくきいていたからだと思う。

 

座布団に爆弾をいれて、

ソ連の戦車につこっていく歩兵の話だ。

 

ぶつかれずに履帯にふまれると、

人は煎餅のようになるらしい。

 

運良く戦車に取り付いても、

爆弾を爆発させるということは、

自分も死ぬということだ。

 

そんな兵士たちの多くは死に、

生き残った者はシベリアで地獄のような期間を過ごし、

運の良い者はその後内地に送還された。

 

内地の土を踏むと同時に、

日本政府による思想調査の対象になり、

人によっては長期間の私生活を監視されることになった。

 

あと、

シベリアから生きて帰ってきた人が言っていて印象的だったのは、

私が生き延びれたのは片言のロシア語が話せたからだ、という独白だった。

 

 ロシア語で「なんて言っているのですか?」、

と、聞き返すことができたからだと言う。

 

特攻隊と歩兵を比較する気はないが、

いずれも忘れてはならいな悲劇だと思う。