元記事
「ボランティアには所有権がないからだ。また明治神宮をはじめ地権者たちが膨大なコストをかけて外苑の自然環境を維持してきたことが無視されている。」
この人、
本当に問題を理解していないんだな。
この話がここまで拗れるのは、
本来、
この敷地が明治神宮のように国費でつくられた空間ではなく、
国民の寄付と奉仕によって生まれた空間であること。
それが戦争や敗戦などの結果、
明治神宮の所有になり、
戦後の宗教法人法が公益事業を認めたことから、
明治神宮が外苑の敷地を利用して収益事業を運営したことで、
そこに利益が生まれたこと。
その利益がいつの間にか莫大な利益を生み出すようになった。
別に明治神宮が外苑の環境を「莫大なコスト」をかけて維持してきたようなことはないと思う。
仮に、
莫大といえるだけの資金をかけてこれまで持続的に維持してきていたら、
あんな無様な植栽になっているはずがない。
もはやここまでくるといいたいことは沢山あって、
あそこを日常的に利用するものとしては、
銀杏並木は綺麗だけれども、
その樹木の根本やまわりの植栽環境は今時代のレベルとしてはお世辞にもきれいとは言えない。
国民の寄付で出来上がった外苑を搾取して、
明治神宮を維持してきたという構図こそが問題である、
とこの問題を深化させてもいいくらいに馬鹿馬鹿して論調が多い。
あと、
公益事業に頼らなければ運営できないような宗教法人は、
そもそも宗教組織として成り立っていない。
ここまでくると明治神宮の会計内容についての問題としてもいいかもしれない。
本当に120億円の外苑の収入がないと明治神宮が維持できないのか、
それについての説明が必要じゃないかな?
帳簿は公開は義務付けられているから、
誰か詳しい人たちが精査して記事にしてくれないものだろうか。
最後に、
欧米型資本主義は神学から分離独立してきた概念とその実践であって、
決して富と資本の無限定な利用を想定してはいない。
日本人が皇居という広大な空間に摩天楼を建築しようと発想しないように、
資本主義にもアダム・スミスが記しているような倫理がある。
それを無視できるのは、
神学の伝統がない日本人だからだと思うが、
そこを無視して資本主義を論じても意味はない。