元記事 

 

 

古川は相変わらずだね。

 

「溝川が貧民窟に調和する光景のうち、その最も悲惨なる一例を挙げれば麻布の古川橋から三之橋さんのはしに至る間の川筋であろう。ぶりき板の破片や腐った屋根板でいたあばらは数町に渡って、左右から濁水だくすいさしはさんで互にその傾いたひさしを向い合せている。春秋はるあき時候の変り目に降りつづく大雨のたびごとに、しばと麻布の高台から滝のように落ちて来る濁水は忽ち両岸に氾濫して、あばら家の腐った土台からやがては破れたたたみまでをひたしてしまう。雨がれると水に濡れた家具や夜具やぐ蒲団ふとんを初め、何とも知れぬきたならしい襤褸ぼろの数々は旗かのぼりのように両岸の屋根や窓の上にさらし出される。そして真黒な裸体の男や、腰巻一つの汚い女房や、または子供を背負った児娘こむすめまでがざるや籠やおけを持って濁流のうちに入りつ乱れつ富裕な屋敷の池から流れて来る雑魚ざこを捕えようとあせっている有様、通りがかりの橋の上から眺めやると、雨あがりの晴れた空と日光のもとに、或時はかえって一種の壮観を呈している事がある。かかる場合に看取せられる壮観は、丁度軍隊の整列もしくは舞台における並大名ならびだいみょうを見る時と同様で一つ一つに離して見れば極めて平凡なものも集合して一団をなす時には、此処ここに思いがけない美麗と威厳とが形造られる。古川橋ふるかわばしから眺める大雨のあとの貧家の光景の如きもやはりこの一例であろう。」

 

青空文庫からの転載だけれども、

古川というつい、

この文を思い出す。

 

大正四年の文である。

 

これ以後、

日本は大戦景気を経て、

貧しい明治を脱して、

職業婦人が闊歩し、

軍人がバカにされる社会になる。

 

華族・皇族は奢侈に溺れ、

同性愛や愛人など彼らの風紀の乱れは国の権威を失墜させた。

 

それでも麻布などから「残飯屋」が姿を消したのも、

大正の頃であり、

生活の豊かさはそのまま風紀の乱れとなるが、

それも豊かさの一面なのだろう。

 

荷風の記した光景よりはましである。