元記事 

 

 

懐かしい。

 

小二か小三だったかな、

まだ日本にいた頃に、

18➗0を何の力も働いていないから、

変化なしで18だと答えていて、

そんな考え方もあるんだなと目から鱗だった。

 

数学や言語の規則というものは、

誰もが理解できるように定型化されているけれども、

メソポタミア文明の根源まで遡ると、

言語や計算の世界には数字やら画像やら、

様々な仕組みが混ざっていて、

王族の中ですら完全に習得できた人はほんの僅かだったいう。

 

今の時代、

なんとなく計算できて言葉も喋れて書けるけれども、

それらを自由に変化させることで、

世界の本質を今よりも表現して共有するためには、

こうした問題を考えるのは、

とても意義のあることだと思う。

 

あと、

小学校の先生に過度な期待をするのはかわいそうだ。

 

教員免許は持っていても、

数学や言語、組織運営のプロでも経験者でもないので、

教えている内容やクラス運営の方法は、

間違いだらけだと思う。

 

息子と娘が通っていたのは公立だったけれども、

自分の部下のような教師が教えていることややっていることが、

我慢できずに担任に面談を繰り返していた親もいた。

 

知識労働社会に入って半世紀くらいがたつと思うが、

いまだ知性の共有には困難が伴っている。

 

今回の件でも、

複数の補助AIが教師に対して助言を与えることで、

もっと有意義な時間となっただろうことは簡単に想像できる。

 

これから先、

もっと豊かな世界になってくれればいいなと期待したい。