元記事 

 

 

入試の公平性はまぁ、

私大だからなぁ。

 

昔あった医師国家試験の不正は困るが。

 

 

 

「--退学して受験資格がないはずなのに、平成22年に医師免許の国家試験に合格している。どうやって受験資格を得たのか

「恥ずかしく申し訳ないことだが、大久保被告の提案で、韓国の医大を卒業したという噓の書類を厚労省に提出して資格を得た」

--大久保被告は当時、厚労省で受験資格の認定を行う部署にいた。なぜ大久保被告はそんな提案をしたのか心当たりは

「正直分からないが、『免許持っていて損をすることはないからとっとけ』といわれた。不正のやり方は全部彼から教えてもらった」」

 

これだけ読むと、

国家試験でも不正が蔓延っているような気もするが、

どうなんだろうか?

 

こちらの方が問題では?

 

あと、

日本の受験制度が公平というのは、

社会全体の不公平を見逃した上で、

同じくらいの所得と家庭環境の人々にとってのみせかけの公平さだ。

 

貧困であったり、

頭がよすぎたり、

裕福すぎるものにとっては、

不公平であったり無意味であったりする。

 

下も上も足切りした上での公平であることを自覚しない日本の社会システムは、

海外からはいじめや自殺を前提とした酷い社会だと学者には批判されている。

 

まぁ、

だからこそ、

犯罪は「いじめ」と言い換えられ、

殺人は「自殺」や行方不明と言い換えられる。

 

その方が大多数にとっては平和だからだ。

 

話は逸れたけれども、

海外の私学に行こうとすると、

どのような点で貢献できるのかと訊かれることがある。

 

頭がいいのか、

スポーツができるのか、

寄付ができるくらいに金持ちなのか、だ。

 

それ以外は、

学校として受け入れるメリットがない。

 

正直、

会社であればまさに採用試験であるから、

その通りだ。

 

試験というから公平となるが、

大学の構成員の一人を選ぶというのであれば、

公平性よりも大学が欲しい人材を採用したいのは当たり前だ。