元記事
まぁ、
どっちでもいいというか、
まぁ、
昔からの上下だと向かって右が上座になるから、
平安時代まではご飯だけのせた折敷を右においていた気がするんだが。
つまみはの折敷が左で、
主菜の折敷は奥においていたと思う。
鎌倉の頃から、
武家での簡略化で一つの折敷に全部をのせるようなって、
ご飯が左手前になったのではと思っている。
あと、
武家(武士ではない、当初の武士は公家の中の軍務官僚のこと)と公家では、
上下を逆にすることがあるので、
まぁ、
そんなものかと思っている。
例としては、
律令制の名残の強かった織豊時代と江戸時代では、
伊勢神宮の外宮と内宮の将軍への拝謁順は逆になっている。
今となっては食べやすい方でいいのかなと思うんだが、
どうなんだろうか?