元記事 

 

 

「世襲」という考え方を悪いと考える人たちは、

欧米では少ないのではないだろうか?

 

また、

日本人が考えるような「世襲」だと、

親と同じ職を子供並びに一族の郎党がつぐということだと思うが、

彼らの場合は、

親と同じではなく、

親の資本をついでより高い次元で活動することで、

親と同じ仕事を継ぐのは低脳だと思うわれるか、

向上心がない感がられるのではないかと思う。

 

なので、

日本人は創業数百年の老舗ということを誇りに思ったりするが、

それはそれとしていいのだが、

同じ一家で代々となると奇妙に思われるかもしれない。

 

また、

それに似たことで、

同じ人、同じ集団が勝ち続けるということを日本は喜ぶ傾向にあるが、

それも向こうでは好まれない。

 

なぜなら、

勝ち続けられるということは、

その勝ち続けている人たちに有利なようにルールが偏っていると考えるからだ。

 

また、

規則の抜け道を使っていたり、

規則以前の精神的なものに背いていたりすることを嫌がる。

 

巨人の九連覇やホンダのF1での連勝は嫌われて当然だった。

 

で、国際金融の「世襲」だけれども、

これについて表面的な数えられる資本の問題ではない。

 

金融危機に際して投入できる「お金」の量の問題だ。

 

リーマンショックやアジア金融危機のあと、

国際金融の世界では、

必ずくる次の金融危機に備える組織をつくる案があったが、

それを潰したのはFRBだった。

 

金融危機の記憶は十年で失われると言われている。

 

アメリカは議会が定めた中央銀行を持っていない珍しい国だけれども、

だからこそ、

あの国に国際金融と唯一、

はりあえる。

 

その背景にあるのは、

「世襲」の背景にある蓄えられた資本の重みだ。

 

もし、

「世襲」の代替わりを求めるのなら、

かつて必ずくる金融危機に備えるために作られようとした組織が行う予定だった「救済」を、

アジア諸国は自らの力で実現する必要がある。

 

もし、

来年、

大統領選挙が終わり、

選挙中の景気刺激策が消滅し、

同時にウクラナイ戦争が停止し戦時特需が消滅したことで発生するだろう金融危機に際して、

アジア諸国は今から備える必要がある。

 

ただ、

戦争とは長い歴史でみた時、

もっとも貧富の差を縮小するイベントだ。

 

金融危機の解決は貧富の差の拡大路線を維持するということだ。

 

貧富の差を縮小を決意するということは、

来るべき「戦争」を覚悟するということだ。

 

微細な動きを歴史から学ぶことは不可能だけれども、

大きな波を予測することは難しくはない。

 

日本にとっても、

戦後から続いたアジア開発銀行の「世襲」について、

真剣に考える時期がきているのかもしれない。