元記事 

 

 

今回の件で、

正宗白鳥が「博文館」について書いていた文を思い出した。

 

「文筆業者は博文館に隷屬してゐるやうな有樣であつた。多くの作家が博文館の社主や編輯主任には頭が上らなかつた。近松秋江が數年間この社に奉職して、その内輪の實状を話してゐたが、編輯者は、社主の夫人の草履を直すやうな行動を取つてゐたさうだ。月給は社主大橋新太郎の手から渡されるので、その前に平身低頭の禮を取るのであつた。田山花袋の『東京の三十年』のなかに記されてゐるが、大橋社長が日本地誌の編輯をしてゐる花袋を戒めて、「紅葉でさへ遺族は窮境に陷つてゐる。君など文學なんかやらないで、地理の方に身を入れてやれ。大學の地理の先生に學べ。」といふやうな事を云つてゐる。社長は文學者を輕視して、大學の教授を尊重してゐたのであつた。それでも、逍遙、鴎外、紅葉、露伴ぐらゐには、出版業者も多少の敬意は拂つてゐた。」

 

まさか、

今も作家が出版社に隷属していて、

編集者も編集者の奴隷的存在だとは思いたくないが、

どうも昨今の記事を読むと、

似たようなものと思える。

 

これは契約が口約束とか、

そういう次元の話ではない気がする。

 

あと、

白鳥の上記の文中の、

文筆業者を「漫画家」に、

博文館を「小学館」におきかえ、

作家名を適当な漫画家に置き換えると、

七十年前と今、

媒体と表現方法は違えと似たような世相な気がする。

 

博文館が軍や政府から流れてくる資金で拡大したように、

今、業績を上げている企業の多くが政府からの資金で事業を拡大している。

 

そうした方向性がどこにいきつくかは、

戦前が証明しているが、

負けて御破算になるまでは誰も止められないのも事実だ。

 

ただ、

物理学者と作家は筆一つあればいいので、

生きる場所が国内になければ、

よそにとべばいいと思うのだが。