元記事
「新派の衰運、新劇の萎微、共に、原因はこれ以外にない。そして、昨今、劇壇を通じて、一つの露骨な傾向が雄弁にこの間の消息を語つてゐる。
それは、いふまでもなく、小説の脚色と映画の舞台化である。その小説や映画は、テエマ乃至筋の興味もさることながら、これまで評判になつたもので、人口に膾炙した標題が第一に選ばれる。
これは興行者としての賢明な思ひ付きであるのみならず、脚色を担当する者にとつて安全な仕事であり、之を演じる俳優も亦「芸」の誤魔化しがきき、見物は、「知つてゐることしかわからない」俗衆である限り、大抵満足するのである。」
約100年前に岸田國士が書いた文章だ。
今のTVも当時の劇壇と同じ問題を抱えているように思う。
また、
現実的な面で言えば、
脚本家にとっては自分が書いたということになれば、
二次利用などでも収入がはいってくるので、
譲れないところだとは思うが、
果たして、
原作者には再放送や二次利用についてはどの程度の収入があるような契約になっているのだろうか?
あと、
これはないな。
「本業の連載締め切りに追われる中で脚本にまで没頭しなければならず、心身共に負担は大きかったはず。彼女が自分からやったこととはいえ、そうしなければならない状況に追い込まれたことが問題だったのではないでしょうか」
もし、
出版関係者の誰がみてもそう思うよな状況だったなら、
連載を数話延期するかなどの処置が必要だったのでは?
昔の漫画家が連載を何作も抱えて売れっ子で云々という時代は遠い過去の話で、
今は作品の作り込みも、
私的な思い入れや思想的な入れ込みも強い。
作家性が強いのは商業的には不都合な面もあるが、
そうした作家の個性や思い入れが「漫画」を子供から大人までが読む「文化」へと成長させた原動力だと思う。
そうした部分を「脚色」という一時的な行為で締め殺してしまうのは、
どう考えても時代遅れだし、
脚本家業界にとっても、
長期的に考えれば岸田國士の書いているように衰退させることになると思う。
昔、
出版業界の片隅にいたものとしては、
作家の皆様のこだわりについては身に沁みている。
だからこそ、
色々と思うこともあるけれども、
今はただご冥福を祈ることと、
業界が変わってくれることを願いたい。