實相寺(じっそうじ)は長楽寺と同じく、姫街道沿いの金指(かなざし)と言う集落の丘の上にある。

南北朝時代に開創した真言宗の寺院であり、1628年に旗本であった金指近藤氏がこの地に伽藍を移し開基とし菩提寺とした。
庭園はその頃に造られたものと思われるが、発見されたのはつい最近平成6年の事だったと言う。
永らく鬱蒼としていた樹木に覆われ荒れ果てており、たまたま立石が発見されたのを機に、発掘調査が行われて現代にその姿を甦らせた稀有な庭である。
似たような境遇の庭では、この實相寺に程近い摩訶耶寺の庭園も、この世に再び姿を現した稀有な庭でもある。

その庭園は本堂の東側の一角にあり、全体的にコンパクトに纏まった枯山水の庭園となるが、ひと目見て全体の構成が築山庭造のお手本の様な庭だなと思った。
正面の築山は三連山とし、中央の山からやや左側から展開される石組み。

中央の築山と左の築山の間には須弥山石が配され、その下にはややずんぐりとした三尊石か?
この辺りは滝石組みと一体的になり、全体的に石は豪快に組まれている。
滝石組は龍門瀑となり、滝を遡ろうとする鯉魚石も見られる。
その左脇のやや離れた所に水分石も据えられており、豪快に水が落ちる龍門瀑に見立てている。
もしかしたら幾つかの立石は散逸してしまっているかもしれないが、実に明解かつ豪快な石組が、コンパクトな地割の中で気持ちいい程に配置されており、見ていて清々しい庭である。

築山を蓬莱山とし、手前の池の中に据えられている平らな石は座禅石と言う。
しかし、池の汀が違えば礼拝石としても良いのではないかと思った。
この位置から見ると目の前の石は、丁度築山を望む位置に据えられているので、遥か向うに臨む蓬莱山を目指す船石にも見えなくもない。

本堂の濡縁からは先程の座禅石の右奥に出島が見られる。
出島の先端は鶴石組の羽石が見られ、その奥は頭と尻尾を持ち上げた亀石組が見られる。

出島から少し視線を左に移すと、先程の鶴石組の左奥、築山の袂に立てられている石は守護石と言う。
しかし、よく見ると亀頭石に見えなくもない。
この石を亀の頭に見立てると、今立っている場所、若しくは本堂全体が丁度亀の甲羅の上となり、まさに庭を見る者を亀の背に乗せ、蓬莱山へと誘うが如く配置されている様だ。
金指近藤氏の子孫繁栄を願ってか、作庭者の意図が良く解る縁起の良い庭ではないだろうか?
これ程迄の庭が永年、藪と土に埋もれていたのも信じられないが、発掘され徐々に姿を現す石組を見ていた人の興奮度は計り知れないだろう。
この庭は、これから日本庭園を知りたい…と言う方には丁度良い庭ではないだろうか。
その上でも非常に面白く、見ておきたい庭であり、見る者を実に清々しくさせてくれる庭ではないだろうか。