闇に浮かぶトート

闇に浮かぶトート

エジプトの叡智の神「トート」★太陽神「ラー」が沈む頃、月になって闇夜を照らす

お休み中です。



最近評判がよかった記事

(題名を押すとリンク先に飛びます)


違い
闇はゴミ捨て場じゃない
人を見下す

強い≠固い
しすぎに注意

KOU式カバラ占術

リラックスして反省

みんな不完全

先生

仲良くね

マイナス?成長

成長はゆっくりなほど速い

破壊の天使

救済

善人はいない


゜・☆:.。. .。.:♪・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・☆:.。. .。:♪゜・☆:.。.



トート三日月が選ぶベスト10記事

(題名を押すとリンク先に飛びます)



1 あなたは天使

 ネガティブは根がアクティブ

 自分のために生きる

 orじゃなくて&

5  絶対性と相対性の共存

6 迷い悩むのは正しい

7  私になりたい

 逆境こそが貯蓄のチャンス

9  誰かのせいにしたいとき

10 悪の反対


゜・☆:.。. .。.:♪・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・☆:.。. .。:♪゜・☆:.。.


読者登録歓迎クラッカーです。遠慮なさらずにして下さい。

アメンバーは交流のある人に限らせてもらいます。

コメントはご自由にベル返事は出来ないと思いますが。

エロい勧誘は断りなく削除します。あしからずドクロ


゜・☆:.。. .。.:♪・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・☆:.。. .。:♪゜・☆:.。.


闇に浮かぶトート-インディゴ



Amebaでブログを始めよう!

訪問なさっている方

ペタをくれている方

ありがとうございます。


休んでいましたが

やっぱりもうしばらくお休みします。


連絡が遅くなってすいません。


よろしくお願いします。


○┓ペコリ


スピリチュアル業界において

セラピストになりきろうとする人は

多いかもしれない。


例えばどんなに人間としてのマナーが

なってない人が来ても

セラピスト人格は

優しく包むことが使命と

ニコニコ対応するかもしれない。


私の優しさで包めば

この人も変わってくれるかもしれない。

そう本気で思っているかもしれない。


私の先生はこういう。


「クライアントであっても

むかつくやつにむかつくっていって

何が悪い」


クライアントにも


「あなたはたいていの人がむかつく。

でも、私はあなたが背を向けない限り

あなたに背を向けない。

むかつくことはむかつくというけどね。

本気で変わりたいのなら

本気で向き合うから。」


どちらが愛に基づいた在り方ですかね?


セラピスト人格は

裏意識では

どんなひどい人にも

ひかりを見失わない自分ってすごいっていう

ナルシストが隠れている。

腹の底でそのクライアントや

自分以外を見下しながら。


そうやって人の闇を包んでいるようで

みないようにして切り捨てて

自分の闇も切り捨てる。


つまり自分はひかりの存在で特別なんだ

という傲慢さが極まっている。

クライアントをその道具にする。


その人をみているようで

自分しかない。


美しく見える自分に酔っている。


もちろん闇を受容するとかは大事だという。


でも、行動は逆なのだ。

闇を切り捨てている。


もしそのむかつく人が

社会でもその害悪を払っていても

そんなことは知ったこっちゃない。


その場限り。

自分が満足ならそれでいい。


しかってあげることをしない。


ひかりだひかりだと逃げていって

ひかりさえも見失っている。


もちろん自分も見失っている。

むかつくのに

それを抑圧して

ニコニコしている。


本当にその真実の姿を見たら

自分でその醜さに卒倒すると思う。


善やひかりを信仰しているだけで

善やひかりを本当には知らないのだ。


もちろん私も分かっているかといえば

どこまでも分からないことだらけだ。


でも、分からないことは知っている。


でもセラピスト人格は

自分がそう振る舞うことで

分からないということを忘れる。

さも、ひかりを知っているように錯覚できる。

もちろん無意識かもしれない。


そして人を助ける立場というものに酔う。


酔うために

ネガティブな自分を

極力なくそうとする。


そうすることで神から離れる。


先生は仰る。

キリストが磔になったとき

逃げ惑った弟子達や

手のひらを返した民衆

傍観する多くの人を見て

怒りや憤りを感じなかったはずはない。


ネガティブを人以上に感じて

それを含めて人を愛したのだ。

それは感じようと少しでもするならば

気の狂いそうになるほど苦しく

それだからこそ愛を感じる。


セラピスト人格はひかりに逃げる。

偽物のひかりに。

あまつさえ闇と戦うという。

戦っている間は闇を忘れられるから。


闇には闇のことわりがあるのを無視する。


本物のひかりは

闇もひかりも区別はない。

まさにワンネスだ。


全てを受け入れるということは

間違っていることは間違っているということだ。


セラピスト人格を無意識でやっていて

悪気はなかったのかもしれない。


でも、あなたがそうやっていることで

キリストが降臨したとして

また磔にするだろう。


その意味を深く考えてみて欲しい。


みんな特別で

みんな同じ。


腹の底でクライアントを見下すのは

やめにしないかい?

対等に付き合うなら自分もさらす。


それとも自分から逃げつづけますか?


゜・☆:.。. .。.:♪・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・☆:.。. .。:♪


これを書くのは少し怖いです。


でも、ネガティブを見るにはこれを避けて通れない。


私も、自分を綺麗だと思っていて

上から目線でした。


今もそれは抜け切れていません。


でも、闇をみるにつけて

言葉だけの謙虚だけでなく

本当の意味の謙虚さが必要だと

痛感しました。


自分の醜さを痛感する度

打ちひしがれそうになりますが

霊的探求という意味が

何となくですが分かってきた気がします。


セラピスト人格になっている間は

無意識に自分に酔っています。


それに依存して一緒に酔ってくれる仲間や

クライアントも集まってきます。


日常が宴会です。


自分は人を助けている。

使命感みたいなものに燃えます。


でも、本当にそうなのか?


自立させることをせず

ひかりに依存させていないか?


一緒にいるときは何となく癒されて

日常に帰るとストレスだらけ。

そしてまたセッションに戻ってくるクライアント。


新しい強力なヒーリングを求めて

スピリチュアル迷子な人々。


スピリチュアルと日常の分離。


本人の成長を本当に助けているか。


ひかりを与えるだけで本当にいいのか?


真摯に向き合うなら疑問に思うはずです。


闇も育てなければならない。


感情を大事にしなければならない。


セラピスト人格はこれを抑圧します。


こういうところにメスがまだ入り切れていない。


大きな問題だと思います。


予期しなかった不運。


ひどい仕打ち。


それは確かに被害者かもしれない。


だから人のせいにする。


人のせいにした時点で


自分のハンドルを人に握らせることになる。


決して思い通りに動いてくれない。


それを攻撃的に罰する。


それでいいのか?


あなたは選べるのだ。


虐待を受けたとしたら


あなたも子どもに虐待をする道と


親に反抗して子供だけは守る道と。


悪道続きでもハンドルさえ握っていれば


あなたはあなたの選択が出来る。


人のせいにした時点で


自分にはその人より自分に対する影響力がないことを


宇宙に宣言したことになる。


人はあなた以上にあなたを幸せにはできない。


あなたが選ぶしかない。


ハンドルを握れ。


事故にあったとしても握り続けろ。


それは神にも取り上げることはできない神聖な権利と責任。


疲れたら止まればいいから。


ねっ!!!


ハートのない存在に魂を売らないでね。