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闇に浮かぶトート

エジプトの叡智の神「トート」★太陽神「ラー」が沈む頃、月になって闇夜を照らす

「美味しいものを食べる」


のと


「おいしく頂く」


のは全然違うよね。


美味しいものを食べても

仕事のことを考えていたら

おいしくないよね。


いつもの朝ご飯でも

好きな人と一緒に楽しく会話しながら食べたら

雰囲気も手伝っておいしく頂けるよね。


創ってくれた人の苦労が分かると

ありがたくておいしいよね。


美味しいものを追求するより

いかにおいしく頂くかを追求する。


外部の条件を整えるより

自分に出来ることに心をこめる。


どんなにお金があっても

不幸と思ったら不幸。


反対に

ちょっとしたことで人って

幸せな気分になれる。


晴れているだけでもね。


でも、それが幸せだって気づくのは

簡単だけど難しい。


人生をおいしく頂きましょう。

どうせならね。


私たちは自分が何かいつも探している。


自分は男・女

自分は日本人

自分の職は

自分の性格は

自分の趣味は

自分の名前は


自分を言葉に置きかえた時点で

陳腐なものになってしまう。


自分という存在は

言葉では言い表せない。


だからいつも欲求不満。

自分に満足できない。


ブランドものを欲しいと思うのは

自分というものを強化してくれるから。

でも、手に入れたとたん錯誤が分かって

別のものが欲しくなる。

満足できない。


理想のパートナーを求めても

求めている間が一番楽しい。

手に入ったとたん不足が目につく。


だから神さまは

欲しいものを与えないで

欲しいという状態を維持する。


存在を感じる。

椅子一つとっても存在を感じさせてくれたのなら

人はどんなお金でも払う。

ゴッホの絵のように。


存在を感じる。

それはハートを開いて思考を止めたときに

感じられる。


瞑想なんかはそうだ。


でも、もっと感じるのは人と関わったとき。

全存在をかけて人と関わったとき扉は開く。


その一端の一端の一端の一端しか

感じたことはないけど

人の心に触れたとき感動するよね。


その感動を最近感じ始めている。


人と関わりたい。


面倒くささもあるけど

人と深く関わりたいと思えるようになった。


存在を感じる。


迷子の私たちが本当に求めていること。


横道にそれないでね。


「自分しかない人は自分もない」


そんな言葉がおりてきました。


私は一時期自分一人で

霊的な道を行こうとしました。


自分しかなかった。


人のために行くといって

やっていたのは切り捨てでした。


自分の世界にこもり

真理といいながら

精神の崩壊が待っていました。


人を成長させるのは人。

人と関わることでしか

成長はない。(by先生)


そんな単純なことも

分からずにいました。


結局人がいるから自分が存在できる。


人がいなかったら自分もない。


自分だけのことしか考えなくなったら

最悪のシナリオです。


人とどう関わるか。

それが自分を存在させる選択です。


例えば親との関わり。


子供の頃の満たされない思い。

今の親との関係。


こんな基本的なところに

自分の存在の大きな部分が

決定されています。


自分のいつもしているくせ。

それがカルマです。


親に支配されていると感じている人は

子供にも知らず知らずにでています。


親との関係を解決して下さい。


それがスピリチュアルと現実を

分けないということ。


全ての行為がスピリチュアルです。


自分が霊的な道を行くということは

周りの人を巻き込んで

変わっていくということ。


自分だけで変わっていっても

自分もないということです。


現実とスピリチュアルを分けない。


抵抗が出た人もいるはずです。


私もそうですから。


でも、それをしない人は偽物です。


スピリチュアルに逃げているだけです。


ひかりのようなものに逃げて

酔っている人を多く見ました。


私もそうです。


でも、それがいかに浅いか。

それを思い知っています。


自分だけで変わるのではなく

周りを巻き込む。


少しずつでもやっていこうと思います。