〇同マンション表(朝)
小雨が降っている。
ベランダに、紫陽花の鉢植えが置かれている。

〇同・居間内(朝)
美樹と初恵がベビーベッドの前に立って、ベッドの中で目を閉じて寝息を立てている赤ん坊A、Bを見ている。
美樹、溜め息をつき、
美樹「ようやく眠ってくれたわ。さっきまで、物凄く愚図って大変だったけど」
と、初恵のほうを向き、
美樹「でも、お義母さんが来てくれたお陰で随分と助かりました。一彦がいるときは手伝ってはくれるけども、なかなか思うようにはいかなくて」
初恵「誰でも、初めはそんなものよ。私も、一彦を育てたときはかなり大変な思いをさせられたもの」
と、苦笑し、
初恵「しかもあの子には、最近になってもダムを巡って随分と苦労させられたけれども」
美樹「抱いた夢はとても立派なものだけど、皮肉にも道を間違えてしまったんですよね」
初恵「そう考えると、人というのは本当に複雑なものね…例え親子であっても、見える景色は各々別のようだし」
美樹「ただ、あの騒動が元で犬鷲の存在が明らかになったことを思うと、あれも新しい道を切り開くのに必要な試練だったのかもしれないわ…」
と、赤ん坊A、Bの顔を見て、笑顔で、
美樹「まるで謀ったようにこの子達も鷲の最初の雛と同じ日に生まれてきたのも、一彦が新しい会社へ移って本当に自分の目指す道を掴んだのも、偶然だとは思えないもの」
初恵「私達にとっての大恩人でもある倫代さんがお父さんと出会ったのも、目に見えない何かが導いたのかもしれないわ」
と、歩いて窓辺に行き、窓の外に小さく見える鷲羽根山に目をやり、
初恵「彼女の助言で始まった山での体験教室も上々の滑り出しで、麓からも興味を抱いて参加する人が出てきたぐらいだし」
美樹、初恵の側に立って、鷲羽根山の脇に見える宝木山に目をやり、
美樹「一彦によれば、教室の中に小水力発電の現場見学を取り入れたことで、宝木の中でも自然を守る為に小水力で作った電気に買い替える世帯が増えてるそうですよ」
初恵「…こうしてみると、時代が大きく変わっていく過渡期を迎えているのかもしれないわね…」
美樹「日本では滅多にないという、犬鷲の雛二羽が山で無事育って今日にも巣立とうとしてるのが、その証なのでしょう」
と、空に目を向ける。
雲の切れ間から、覗く太陽。

〇同川・下流周辺(朝)
土手に「宝木小学校生徒作〝生き物の憩いの場〟」の看板が立てられている。
蜻蛉が、川辺の葦の葉に停まっている。
鷺が、川の中を歩いていく。
虫捕り網や小さな水槽を持った子供達が、階段を伝って土手と川辺を行き来していく。
水槽の中に入っている小魚や海老。
「テレビ夕日」の腕章を腕に巻いたスタッフ達が、川や子供達にテレビカメラを向けている。
古岳が、子供達にマイクを向けて、何事か口にする。

〇同川・中流周辺
巨大な水車が、川の中で回っている。
ゴム手袋を填めた人々が川原に立って、投網を持った橋本と何事か話している。
橋本、川辺に歩いていき、川面をじっと見詰める。
川の中を泳いでいる魚、魚、魚。
橋本、魚の群れに向けて網を投げる。
網が大きく広がり、魚に覆い被さっていく。
橋本、網を手繰って川原に引き上げていく。
網の中に入っている魚、魚、魚。
全員、魚を手に取り、クーラーボックスに入れていく。

〇竹下家表
稲を持った人々が、棚田に入っていく。
竹下が、畦に立って何事か話している。
泥鰌や巨大な鯰が、人々の足元をすり抜けていく。
水路で、巨大な水車が回っている。
上空を、虫を咥えた燕が飛んでいく。

〇森の中
大勢の人々が、双眼鏡で空を見ている。
「ネイチャーガイド」の腕章を腕に巻いた指導員達が、やや離れた場所に立っている。
古岳と枝川が、テレビカメラの前で何事か話している。
倫代と吉沢、一彦が、カメラの後方に立っている。
上空に犬鷲A′、B′と、小振りな若鷲A、Bが姿を見せ、歓声を上げる人々。
一彦、並んで飛んでいく鷲A′、B′、若鷲A、Bに双眼鏡を向け、
一彦「一時は猛烈に憎んだ相手だったが、改めて見てみるとじつに堂々たる風格がある」
倫代「犬鷲は『風の王者』とも呼ばれることもあるぐらいですからね」
と、望遠レンズを装着したカメラを鷲A′、B′、若鷲A、Bに向けてシャッターを押し、笑顔で、
倫代「しかも、二羽が無事に巣立ちを迎えるまでに育つのは日本では極めて希なのだから、この山の持つ底力は素晴らしいの一言に尽きますね」
一彦「俺の子供が双子で、しかも最初の卵が孵ったのとほぼ同じ時刻に生まれたのも、あるいはこんな山を奪われたくないという鷲の思いが呼んだ奇跡なのかもしれない」
と、顔を強張らせて両手を見詰め、
一彦「俺が引き金を引こうとした瞬間、何故か赤ん坊をあやす美樹の姿が雛と重なった…もし、そいつを無視してあのまま銃を撃っていたら今頃は…」
吉沢「だが、結果的にお前は引き金を引かず、雛も子供も無事に生まれてこられた。もう、それで充分じゃないか」
と、一彦の肩に手を置き、
吉沢「お前がこの山の発電所のことを盛んに宣伝してくれるお陰で、山での仕事にたいする麓の理解も広がってくれているんだ。互いに過去は水に流そう」
一彦「…」
倫代「大学のほうでも、竹下さんの棚田の一部を学生達の無農薬米作りの実習地として利用する私の案が採用されましたが、これも犬鷲の存在がものを言いました」
と、一彦のほうを向き、
倫代「なので私も、貴方の過去のことを責める気は毛頭ありません。むしろ、今は心強い同志の一人として信頼を寄せています」
一彦「…かつては敵対していた俺をそんなふうに思ってくれるとは、どこまでも器の大きな人だ」
と、苦笑し、
一彦「正直『電誕』にいたときは仕事の成果を出すことだけを求められて、どこかで個人として認められてなかったからな…」
倫代、首を横に振り、
倫代「同志に加わる道を選んだのは貴方自身であって、私はただ掛け違っていたボタンを直す手伝いをしたに過ぎません」
一彦、倫代の顔をじっと見詰め、
一彦「ならば、遠い先の話になってしまうが、再び同じことが起きないように俺の子供達を貴女のいる大学へと進学させることを目指そう」
倫代「そのときには、私も世界で通用する人材を育てられるだけの実力を付けてお待ちしてます」
と、傷だらけの双眼鏡を取り出し、じっと見詰め、
倫代「前任からゼミを引き継いだからには、その人を越えることで育ててくれた恩に報いたいですし」
吉沢「自らが育てたものが自分を越えた存在になるのは、どんな関係であっても嬉しいものだろう」
と、笑顔で、
吉沢「俺もまた、孫が一彦を遥かに凌ぐ大物になってくれるかと思うと、今からわくわくしてくる。もちろん、そいつを選ぶのは当人達が決めることだが」
一彦「だから俺も、自ずとその道を追いたくなるような体験を子供達にはさせてやろうと考えてるよ。父親として、一緒に思いきり遊んでやりたいとも」
吉沢、苦笑し、
吉沢「なんだか、仕事を中心にしてろくに遊んでやれなかった俺のことをいわれてるようで耳が痛いな…」
一彦「別にそんなんじゃない。ただ、今の会社に移って気付かされたんだ…ただ働く背中を見せるだけでは、打算的でつまらない大人にしか子供を育てられないと」
吉沢「…つまらない大人か。たしかに、俺達の世代は心から遊びを楽しむのが下手な連中が多いものなあ…しかも、そんなのが揃いも揃って企業のトップに立っているから」
一彦「だから、これから大人になる世代を、コンクリート神話から抜け出してもっとあるがままのものを活かしていく道へと導いていきたいんだ。全ての生き物の為にも」
吉沢「…一彦…」
と、一彦の顔をじっと見詰める。
古岳と枝川、踵を返して一彦の元に歩いてくる。
古岳「急で申し訳ないが、この村の小水力発電施設を取材させていただけませんか?鷲の話を聞くなかで、地域に根差した開発の件にも触れておきたいと思って」
枝川「ついでに我が団体の会報で『鷲を育てるクリーンエネルギー』として特集を組んで、赤谷に続く犬鷲保護区指定の実現に向けて利用したいので」
一彦「もちろん、喜んで協力させてもらいますよ。これを通して事業の詳細を知ってもらえれば、興味を抱く人達も増えそうだし」
と、吉沢と倫代の顔を見て、
一彦「という訳で、俺はこれから施設へと行くから、後のことは専属の指導員に託してくれ」
一彦と古岳、枝川、歩き出す。
吉沢、歩き去る一彦の後ろ姿を見て、
吉沢「あいつ、前に比べてなんだか生き生きしていて、背中が輝いて見える」
倫代「例えるなら、ようやく身の丈にあった餌を狩れるようになったからでしょう」
吉沢「なるほどなあ…」
倫代「同時に、地方も国という親の運んでくる大き過ぎる餌に頼るのではなく、自力で身の丈にあった餌を狩る『巣立ち』のときを迎えてるのだと思います。此所に限らず」
と、双眼鏡で、犬鷲A′、B′、若鷲A、Bを見る。
鷲A′、B′、若鷲A、Bを幾度も蹴る。
若鷲A、B、鷲A′、B′から遠く離れて飛び去っていく。