お晩のヤミコです~~(省略)
※2018年6月22日の過去記事を再掲載してます。
今回はちょっくらネタバレして…
初級カウンセリングの内容を、
ちょっとだけ公開!致しまーす!
※「初級カウンセリング」は、
現在「メタスピ講座」に改名したものです。
ちょびっと気になるところでそ?
え?ならん?(笑)
自分のブロックは何かなぁ?
って考えたりするもんね^^
ただ、
あまりハードな事例は掲載しません(・∀・)
(といっても、皆さんそれなりにトラウマ的なものは超お持ちです)
生徒さんの機根に合わせて都度都度やり取りするので、厳しいこと言うときもあれば、優しいことを言うときもある
ブラックヤミコ、ヤミコ菩薩、
どちらも発動させてるぜ~!(笑)
で。
受講生徒さんにはメールでのやりとりで、
ブロック探しを誘導しております。
(現在はZOOMミーティングですが)
そして受講生全員が、そのやりとりの記録を全てシェアしあっているので(個人情報以外)、
恥も外聞もなく、ブロックが外れていく過程をリアルに共有することができます。
ここで恥ずかしがってたり、
プライドを捨てられない人は、
かなりの回り道になります。
赤っ恥かいてでも、勇気をふり絞って自分をさらけ出した人は、意識の変化が早いわけですね^^
今まで「受講生の声」として掲載していたメール内容は、ほぼ生徒さんだけの文章なので、
どこで気づきが起こったのかわからなかったと思います。
なので、
たまには私からの返信も載せませう、
ということですな☆
そんなわけで、
テキスト「15の質問」へ頂いた回答を、
1つだけ最初に載せます。
今回の生け贄は HNキコさんです( ̄▽ ̄)
\よっ、キコさん!/
では、長文になりますので、
お時間のある時にじっくりどうぞ~♪
記憶に残っているから5歳よりは大きかったと思います。
父の知り合いの家に一緒に行った時、
その家には小さなかわいい子猫がいて
動物好きだった私は抱っこさせてもらってうれしかったのですが、
子猫のほうはあまりじっとしていないで
そのうちに私の手から離れて走って行ってしまいました。
(猫が嫌がった場合は嫌われたくなかったのでしつこくしないようにしてました。)
帰る時になって、
その子猫が道路に出て車にひかれて死んでいるのを家の人がみつけたらしいのですが、
その時に父が「おまえがちゃんと抱いていればよかったのに、手を離したからだ」みたいなことを言われ、
それが子供心に強く残ったのか、
子猫が死んでしまったことがショックだったのもあって、その晩忘れられないできごとがおきました。
当時、住んでいたのは官舎で小さな家だったので、川の字になって布団を敷いていたのですが、
私は一番端で障子のすぐ横で寝ていました。
夜中にふと目を覚ますと
そこから白い手がスーッとのびてきたところまで記憶しています。
夢だったのかそうじゃないのかわかりませんが、
戦時中は兵隊がいた場所で
住んでいる町も空襲を受けた町だそうなので、
あまりいい雰囲気の場所じゃありません。
障子から出てきた手のことがトラウマになって、壁際とか障子やふすまの近くで眠るのは、今もあまりいい気持がしません。 和風の古い建物はちょっと敬遠します。(実際畳の部屋が今の家にはありません)
あの時もっとギュッと抱いていたら、
と後悔しても子猫が嫌がったら離したでしょうし、
幼かった私のせいではないとは思うのですが、
もし父の言った言葉を亡くなった子猫が聞いていて、私のところに来たのだとしたらと思うと
複雑な気持ちです。
記憶では指が四本だった気がしましたし・・・
(しょっぱなからこんな話題ですみません、子供の頃の「変なこと」が実はオカルトだったと大人になってから気づくような鈍さだったので、親に黙っていたことも色々ありました)
今客観的にみると、
あの時住んでいた場所や家がわけありだったので、
自分のせいだと悔やんでいるちょっと霊感質だった私に、別のものがいたずらしたできごとだと思っています。
父はもう亡くなっていますが、声が大きくて
言葉の暴力みたいなものがありました。
実際に有段者だったので(多分手加減していたのでしょうが)ぽいっとなげられたりもしま した。
すぐ怒るし、怒鳴るし、
「女は居候」と子供のころからよく言われ、
3人姉弟の一番上だった為に弟がやったことでも私が叱られて、違うと口答えすると「なんて根性が悪いんだ」と言われてました。
私はけっこう年下の子の面倒を見ていたので、
近所のおばさんたちはわかってくれていたのですが
父の言うことをうのみにする男の人には
人の見ていないところで色々言われたこともありました。
父は、田舎の殿様育ちで世間知らずだったんですよね。
人に私のことを悪く言うのは謙遜しているつもりだったのかもしれないけど、いいめいわくだな・・・と思います。
子供の頃の私は本をよく読む子だったので、
父の言うことが間違っている事にも気づいていたため抗議はしましたが、無力でした。
祖父が多分父をそんなふうに育てたようです。
あの時代男の子は跡取りとして
大事にされた時代だったんですよね。
でも、何も疑問を持たずにそのまま時代が変わっても同じことを繰り返すのはどうなんだ?と
今なら言えたのでしょうが、
私は口数の少ないおとなしい子だったために、
ボキャブラリーも足りなくて泣くことしかできませんでした。
だから父が大嫌いでしたね。
ただ、父が亡くなってからなんとなくわかったというか、不器用な人だったんだなと
理解できるようになりました。
本当は祖父が早くに亡くなってから、
転勤で故郷を離れて知り合いの誰もいないところでひとりで暮らしたから、
自分の家庭のことをすごく大切に思っていたのだと、
あちこち便利なように日曜大工で手を加えられた実家の中を見て、遅まきながら気づきました。
父は自分の親が亡くなった時のトラウマなのか?
母や弟たちが入院したり手術になった時も一度も病院へ来たことがなく、それを追求すると 逆に怒りだして、
「なぜ?」と当時は憤慨してましたが、今はわかります。
気が小さくて、誰かに何か起こったらと思うと
怖くて病院へ来れなかったんだなと。
「親父は自分が間違えてるとよけいにおこるんだよ」という一番下の弟の言葉が事実を物語っていると思います。
女は居候と言っていた割には習い事をさせてくれて、目利きだったせいか、
いつも一番いいものを買ってくれては
「お前が一番いいものを欲しいといった、なんてわがままなんだ」 と言われてました。
まったくずいぶんな言い草ですが、
言ってることがひどいわりに、色々してくれていたんだ な、と
私は自分から欲しいといったことはないのですけど、あれは照れ隠しだったのかもしれないなと思います。
しわよせは多分家計にいっていたようで、
「お父さんとお前だけでいかせるんじゃなかった」的な言葉を母から何度か言われたのも覚えています。
母にとってはいい迷惑だったと思います。
父のことは、亡くなった後数年は夢に出てきても何も話してくれず、ただじっとこちらを見ていて
変だな、と思っていましたが
実は医療ミスでなくなったことを
4年ほどしてから母に知らされました。
(なぜそんなに黙っていたんだか)
私は何も知らなくて、それからしばらくしてまた夢を見たのです。
とても清浄な雰囲気の深い渓谷で、
まるで山水画のような幽玄な空間に、
背広を着て仕事に通っていた時のような、
いくらか若返った父と家族が車に乗っていました。
絵のようにきれいなところにポツンとお店らしき所があり、、そこでお酒を買った父が
「さあ、ばあさんに会いに行こう」と言って
また車に家族みんなで乗り込んだ夢でしたが、
ばあさんというのは祖母の事なのだな、となんとなく思いました。
それ以降父は夢に出てこなくなったので、
あちらに行ったんだな、と勝手に解釈しているんですが、一つ気になること。
うちの家族は5人です。
あの時車に乗ろうとしていた人間は6人いたので、目が覚めてから「あれ?」っと思ったのですが、
顔が思い出せませんけど、ガイドだったのでしょうか?
もうあっちにいくよ、とわかりやすく私に見せてくれたのかもしれないと思いました。
父の家系は古くて、行者のような人もいたので
多分ご先祖の誰かかな、と今は思います。
気持ちの中で、父との確執みたいなのは
亡くなってからの情報で解消された感があります。
亡くなった後のほうが愛情を感じたような気がします。
むしろ、
現在胸につかえているのは母の事ですが、
娘よりも息子のほうがかわいいという態度を、
ボケてきてからあからさまに言葉にするようになって、隠れていた敵が表面化したような気分です。
ただ単に息子がかわいいというのなら怒りませんが、
自分が割ってしまったことを忘れて、
食器がないのを私が持ち帰ったと思いこみ、
返せといわれ「あいつ(弟)にもきいた?」と いった時に 「あれはそんなことはしない、だから勝手に持っていくのはお前しかいない」 と言われてブチ切れてしまいました。
私はそういうことをする人間だといわれたも同然に聞こえたので・・
いや、そういうことさんざんしてきたのあっちのほうじゃ?といいましたが でも、ボケた人には何言っても届かないのを実感しました。
昔、母を守ろうと、
父の怒りの矛先を自分に向けていたあの時の私がちょっと悲しくなってます。
そういえば、小さい時すべて私が悪いことにされていたけど、
そうじゃないことを母は知っていたのに、
何も言ってくれなかった時があったなと、
最近思い当たってしまい、
私にだけ母がお金がないない言ってたので 服がほしくても言えないで我慢していた事を思い出しました。
高校生まであまり女の子らしい服がなく、
いとこのお下がりばかりでした。
(しかもデザインがレトロ)
それはしかたなく我慢していたけど、
弟がブランド物を着ていて「どういうわけ?」と母に聞いた時
お前と一番下の弟は買わなくてもぐれたりしないけど、あれは与えないとぐれてしまいそうだから、
と言われた時の気持ちがよみがえって、
私たちはなんなのだろうと。
つまりおとなしく優等生でいる二人は我慢しろと言われたわけで、理不尽だと思いました。
さすがに成人式までいとこの昔の古い柄のおさがりだったのはもう「え?」という感じで
首の周りのふわふわしたショールもなく、
成人式の写真もスナップくらいしか残っていません。
母なりにやりくり大変だったんだと納得しようとしましたが、
(中古であっても)高い車が長男の弟に与えられた時は、あれ?お金ないんじゃなかったっけ?
という疑問や、
その時から積もり積もったものが
ボケた母によってまた蒸し返されている現状です。
長男の弟は他に家を建てているので、
母はひとり暮らしだから
買い物や用足しに時々実家へ行ってます。
長い父の入院時の母の送迎は、
双子を抱えた私がずっとやっていましたが、
毎日病院を往復していたあの時、
私はメニエルや自律神経失調が起きていた時期で、正直体的にはつらい日々だったため、
なぜあの時ずっと一人でやっていたんだろうと後悔してます。
分担しようって言えばよかった。
弟の家にいい顔をして私だけ使う母に反論すればよかったと。
今は実家の用事をするたびに母からガソリン代としてお金をもらいますが、
以前は娘だからあたりまえなのに、という思いから罪悪感を感じていましたが、
黙ってありがたく受け取るようになりました。
母のどこかにある私に悪いと思う気持ちがそうさせているのなら、それを受け取ることで私も気が済むし
具合が悪い時にもずっと実家の為に動き続けた私に対する対価なのだと思うことで(実際助かるし)
私自身も罪悪感を感じる必要はないのだと考えるようにしました。
実際は、母の言うことが日によってコロコロ変わるから、生前贈与だといってても
あてにしない気持ちの切り替えが必要です。
ホントはまだ自分が守銭奴に思えてしかたなく、
もらったお金は貯金しとけばいいのだろうけど、
たぶんこれはずっと病院通いに巻き込んでしまった子供に対しての あの時の時間の対価なのかもしれないので
子供たちとおいしいものを食べて還元してしまいます。
一応親だし、面倒みようと思っているけど
ネットを見ていて搾取される子供と愛玩用の子供の話が他人事ではないのだと、
実家に行くと思うようになって、
私の中の差別される思いの根源は父ではなく、母だったのかもと最近思うようになりました。
「周囲にいる嫌な人」
(たくさんありすぎて、とりあえず思い出せたものを箇条書きに)
1・人の話を聞かず、自分ルールでアクションを起こす人。
2・困ったときはすべて人の力を使い、自身で覚えてどうにかしようとしない人
3・自分は客だから、お店の人には無理を言ってもいいと思って横暴に振る舞い上から目 線で話す
4・自分の家の手伝いをしなかった親族をつるし上げる
5・人のものを勝手に捨てる、もしくは勝手にほかのひとにあげる
6・何がどう嫌なのか説明がつかず、私が個人的に毛嫌いしているのかと思ったら、他の 人も一度会っただけで二度と会いたくないといわれていた雰囲気?を出している人たち
7・自分が思い通りにいかなかったり、ミスをして注意されたイライラをぶつけてくる人
どんなことをされて嫌いになったか
(主に義理の身内ですが)
◆私の母の着物を自分のものだと思い込み、違うといっても聞き入れず真っ二つに切る。
◆嫁の子供と自分の娘の子供(つまり孫)をあからさまに差別する
◆嫁を小間使いのように使い、熱で寝ていても、自分の親族の送迎をさせる
◆同居している内孫なのに、義父(子供からは祖父)の葬儀の時に泥棒除けに家に留守番に置いてけと言われた
いやでも同居で毎日接しているのでしかたないのですが、嫁姑問題ばかりになってしまいましたね。
…ってなわけで。
親御さんについてのことと、嫌いな人の返答が、ブロックに関わってくる部分ですね。
では、キコさんのブロックに関して、私の送ったメールを掲載。 (抜粋してます)
↓
まず「キコさんの苦手な人」ですが、
部分的に載せますが、はい、コレ…
全部じゃないけど、
私のことです(笑)
1・人の話を聞かず、自分ルールでアクションを起こす人。
2・困ったときはすべて人の力を使い、自身で覚えてどうにかしようとしない人
7・自分が思い通りにいかなかったり、ミスをして注意されたイライラをぶつけてくる人
私もこういう所あります(≧▽≦)
1と2は、完全に私のことだわwww
7も、今まで何度も身に覚えのあることだなぁ~という感じで、お恥ずかすぃ~~
八つ当たりしたこともあるし 、
ピリピリした空気出してたこともあるし…
そう思うと、過去にいったい何人に嫌な思いをさせてきただろうかと…(;´∀`)
私、今はもう自分ルールで生きてるから、
世間様の物差しは度外視してます^^
困ったときは素直に「ヘルプミ~~!」と SOS を出します。
そうすると解決してくれる人が現れて、手を貸してくれます。
その人は「お役に立てて嬉しい」とまで言ってくれます。
私の方はもう感謝しかありません♡
意外とこうやって人と人って、困ったときはお互い様~という助け合いで成り立つと思いますよ♪
でも、キコさんがおっしゃりたいのは、
ホントはそういうことじゃないでそ?
わかってます、わかってますよ(笑)
だけど、「論点のズレ」の話、覚えてます?
↓
キコさんは、困ったときに自分では何の努力もせず、すぐ他人に投げればいいと思ってる人が嫌なんだと思いますが。。。
言ってる意味はよくわかるんですけど、
それでも全然悪くないと思いますよ~~^^
そうやって通用してきたんなら、
それはそれでいいかと。
もし通用しなくなったら、そのときに苦労して覚えればいいわけで。
ホントは、その人の言い方とか態度が気にいらないからじゃないですかね?
よ~~く思い出してみてください。
つまり、感情論になってませんか?ということなんです。
違ってたら ゴメンですが(/ω\ )
どんな問題もそうなんですけど、
この「感情論」が厄介なんですよ☆
つまり、この「感情論」がバイアス(色眼鏡)ってこと、けっこう多いんですね。
嫌な出来事と、自身の感情。
この二つは分けて考えないと、
悲劇のヒロイン(被害者)になってしまいます。
で。
キコさんはそのバイアスのせいで、
そういう人をご自身にとって「悪者」という視点で見てしまう状態となります。
…と、ビシビシ書いてきましたが。
でも誰でもこうなりまっせ~(*´Д`)
感情があって、通常の感覚がある人なら、そう思うのが普通なんですよね。
そう。
それが普通なんだけど・・・今後は普通じゃない生き方を、キコさんご自身が選択されたので^^
正しくは「普通でもいいし、普通じゃなくてもいい」という生き方、ですな。
それが新時代ということ^^
結論。
「善悪」は要りませぬー\(^o^)/
めっちゃ邪魔w
と、頭ではわかってても、
どうしても「善悪」という基準がこびりついてて、なかなか離れてくれないんですよね~~;
でも、そこを書き換えていきましょう!
完全に消さなくてもいいんです。
そういう選択肢もある、という認識も必要なので^^
この「善悪」が書き換えられれば、
少し楽になると思います(´ω`*)
納得できないこともあるかと思いますが、
結局は自分が自分に設定したプログラミングの通りに世界が現れる、という法則なんですよね;
そういう法則なので、善悪を意識すると、
どうしても善悪が現れてきて、
善悪で悩み苦しむ結果になるんです。
さて。
ではどうしたらいいのか、という話の前に…
キコさんがやった方がいいこと。
実践。
それは・・・
はい。
いいところですが、長くなり過ぎたので次回に続きまっす!(笑)
お約束~~☆(・∀・)
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