夜話2120広島第1陸軍病院大田分院2
午後になると、女学生らは見事に戦慄から脱却し、甲斐甲斐しい鉢巻姿の臨時看護婦に変じた。
用意された団扇で蠅を追い払い、ピンセット代わりに削った割りばしで負傷兵の身体や耳の中に増え続ける蛆を器用に挟み取り、古封筒に入れた。
蛆をつぶす触感に躊躇しているのに気づき、その役を我らが引き受けたとき、彼女らは笑みを浮かべてペコリと頭を下げた。
「大丈夫ですよ」とつぶやきながらの看護ぶりは我ら男性の「がんばれ」と怒鳴る以上のいたわりがあった。
焼け爛れた被爆兵のほとんどは顔が焼け爛れ 目をやられていた。思考力を失い ただ息をしているという患者に 寄り添うようにして女学生らは看護した。
看護婦という存在の貴重さを改めて知ったことを恥じた。
その日から間もない 敗戦の八月十五日の午後も 彼女らはいつもの鉢巻き姿で黙々と看護に働らいていた。
それから七十六年、多くの逝く兵に「新型爆弾への復讐」を
誓ったこの老人は、いまも「非核運動による復讐こそ」と、あのけなげな女学生に思いを寄せ、画筆を執り続けている 昭和 三十八年度第十九回福岡県展で最高賞受賞作品「蝕B」はヒロシマの子どもへの愛惜としていま手元にある。
以来八月六日にはこの作品を水で洗うことにしている。
水も求めた広島の子らへの贖罪のつもりである。