夜話2161 自分の軍歴 その四 | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話2161  自分の軍歴 其の四 

大分陸軍病院湯平分院での記憶が薄れると「自分の軍歴」が絶えそうになる。

認知に不安を覚えるのがこの年齢て一番怖い。

そこで大分県湯布院町役場観光課にまず電話。

陸軍病院分院のことなど観光課ではわかるまいと思っていたら 係りの方はご親切に教委の物知りの職員の意見を聞き 後刻返事をしてくださった…。


『湯布院町誌』に分院についての記載があるとのこと。


そのとき初めて湯平温泉は由布市の行政区湯布院町内にあることに気づいた。

 

後日届いた一枚の町誌のコピーは未知の件を沢山教えてくれた。

大分陸軍病院は現大分市横田二丁目に明治41年開設とのこと。(現大分医療センター)。

まず湯平温泉街全部の旅館を大分陸軍院の分院に陸軍が指定したのは 米軍の南九州上陸の可能性ありとの判断により終戦の年昭和廿年の五月に急遽決定したとのこと。

一切の湯治客を追い出し分院に決定したのは陸軍の命令。


まさに自分はその第一転送要員のひとりだつたことが判明した。

分院長は眞武七郎大尉だったのこと。

分院の兵員は約二十名で日赤の看護婦は十数名だったとか。

内科診療所は鶴屋本家とある。三階建の大きな旅館だった。

転送入院した旅館名「つるや」の記憶に 間違いなかったことで少々勇気付けられた。


湯平分院の定員は九百名で 最多時は七、八百名の病兵患者がいたとか。

次に米軍の九州上陸が確実性を帯びたとき 新しい戦傷病兵収容が予定されるため 六月に一部の入院病兵を広島に送ったとある。

自分ら三人はその為の広島第一陸軍病院への転送要員第一号だつたわけ。


松ケ迫軍曹と二人の二等兵は同一車席で 久大線・日豊線/山陽線を乗り継いで翌日朝 広島駅に到着した。 

転送入院の日時は忘却。


ただ 松ケ迫軍曹の「広島第一陸軍病院は 外地からの転送将兵のための一等病院だから 待遇はいいはず。」との言葉と トラックから降ろされた 病院前の いかめしい門のみ記憶にある。


つづく