夜話 1924 自衛隊員「気を付けーッ」
いま手元に『鹿児嶋征討日誌』というものがある。
西南戦争従軍日誌↟である。
書いた人物は「歩兵第十四聯隊第二大隊第一中隊の上等卒松本定吉。出身は「福岡県筑后国上妻郡笠原村(現八女市)住」の職業は農民。
内容は福岡市の兵舎を明治十年二月十九日出発して九月二十一日に帰営するまでの戦闘日誌である。田原坂での戦闘が生々しく記されている。
自分がかかわったその日の戦死者、負傷者の職名、氏名が戦死・負傷別に記録されている。
もう一点は日露露戦争に従軍した養父の鴨緑江渡河作戦の日誌↟である。
小倉の第二師団工兵第十二大隊の伍長としての架橋従軍日誌である。この大隊から後年の「肉弾三勇士」が生まれる。
いずれも名誉と命のかかった記録である。
今国会で南スーダンにおける自衛隊の活躍 日報の存在が問題になっている。自衛隊員それぞれの活動が集約されたものが派遣部隊の日報であろう。
防衛大臣はそれらの日報が破毀されたと言ってみたり、存在していたと言ってみたりして国会で責めたてられ防衛におおわらわ。
戦中の軍人勅諭第一項を読み替えてみる
「我が国の自衛隊は世々防衛大臣の統率する所にある」
「軍隊と言いたい自衛隊」の統率の組織が崩れてなんとする。
とても軍隊とは言えない。
「今後しっかりと責任のある仕事をやる」という事ではない。
日報を部下が破毀したとウソを言ったことを信じた 長としての『責任』があるのだ。
日報を破棄したと聞いたとき大臣は『自分は辞表を書くから貴公も書け」とボンクラ部下に言うべきだつた。
責任をとるとはそういうこと。
破毀したという日報が出てくる あきれた防衛庁の嘘つき組織は長たる防衛大臣が無能という事ではないのか。無能あつかいされた恥を自覚すべし。
そんな自衛隊幹部らは国の防人の指揮者としてまったく不適。
それら防衛庁幹部の無責任ぶりは大臣の責任感とそっくり似ているではないか。
大臣よ「機密日露戦争史」でも繙いてみたら。
これこそ軍事日報の集約されたもの。
生命をかけてアフリカで働いているひとりひとりの自衛隊員は 一刻の私用時間もなく公務に励んでいる。
その活動の記録が「破毀された」とか「発見された」とか国会で他人事のように答える無責任ぶりには 戦中「一銭五厘」で召集された我らは我慢ではない。
日報は自衛隊員の生命のこもった現場の集約報告書である。
いとも簡単に出たり消えたりするような軽薄な書類ではないはず。
もし防衛大臣が 所属党のワクにはまり込んだ「逃げの答弁」を繰り返すならば、無党派を義務づけられ逃げることも禁じられている自衛隊員を統べる責任能力は無いモノと言われても仕方あるまい。
防衛大臣は ただひとこと「すみませんでした」とわびて大臣を辞めるべきだろう。
日報にはその重みがある。
大臣は弁護士とか。
だから言葉の言い逃れが巧いと言われて何とする。
文民大臣の責任を自覚すべし。
「統率力に欠けるのは文民大臣だから」などと笑われてやがて軍人大臣でも生まれたらなんとする。
あえて南スーダン駐屯の自衛隊員諸君に代わってモノ申してみた。