夜話 1327 生まれ変わったゴッホ
久留米の中心街六つ門の商店街は 大変貌しつつある コワシたりおっタテタリ なにしろ半世紀ちかくここに画塾をもっているからヨックわかる
そのなかでフタバヤという洋品店が昔ながらの面影を保って営業を続けている
店主は店内の品物と同様 シャレタ感覚の持ち主と承知している
ちょうど真向かいにあった六角堂という展示場があったころ 数回の児童画展や友人の秋山朗異の個展をやった
フタバヤ店主は数度足をはこんでくれ適切な意見を述べてくれた
しかし当方は近くで画塾を四十数年年やっていながら フタバヤさんの店には縁がなかった シャレタものなんぞ無縁だったのである
先日はじめて夏つもの探しに店に入つた
ところが店の一隅にとんでもないゴッホを発見した
模写にしては 適当に気が抜けている
とくに『タんギ―爺さん』の顔が全く原画を無視している
店主は「自分の顔を描いている」という 作者は店主の友人とか
自己の肖像画にゴッホの『タんギ―爺さん』を選んだところが嬉しいじゃないか
しかも一見して「爺さん」の顔の似せ絵でないところが大いに気に入つた
つまりゴッホの作品をひねることで自己の芸術的表現を試みたわけ
その作家魂にうたれて 夏モノ探しは忘れてしまつた 店主に申し訳なし
晩年狂気の画家になるゴッホは この『タンギー爺さん』のころが最も穏やかな精神の時期だつた
「爺さん」は絵画材料屋さん 同時期 セザンヌやゴーギャンも大変世話になった心優しい「爺さん」だったという
ゴッホが日本の浮世絵の色彩におどろいたころの 作品 でもある
原画のバックには浮世絵がびっしり張られている
タンギー爺さんの顔も穏やか
このころゴッホは印象派に開眼する
そこにこの作者は自分の肖像をもちこみ世界に一枚の絵を仕上げたわけ
組み合わせた手と顔は 日焼けした商人そのもの
おそらく作者は『タンギー爺さん』のように心優しい人だろう
ゴッホが没入した浮世絵なんぞを作者は深入りせずに 淡くそれとなく仕あげて
「浮世絵は卒業すみ」とさりげなくつぶやいていると見た
ゴッホは弟のテオあての手紙に「ここではぼくは日本人のように自然に没入して生活している」と書いている
ゴッホのスタイルをまねて 全く違う自画像を描いた作者は自然に没入して製作したににちがいない とにかくこの絵からは楽しみが伝わってくる
喝采を送りたい(敬称略)
上 ひねられた『肖像』
下 ゴッホ『タンギー爺さん』1887年作