夜話 1117 八女福島城主の密告
前市長は就任早々 旧福島城復元を係に命じた
この市長 福島城に天守閣があったと思っていたらしい
そこで相談に来た土木課長に初代福島城主田中康政のことを話したらゲンナリしてその話は沙汰やみになった
また城跡あとの公園を大改造して無駄なカネを使った 「城跡」が文化財であることこれまたご存知なかつたので改造前の予備発掘などをしなかつた 石人石馬の出現があつたかも知れない
市長が選んだ教育委員諸侯も気付かない
康政なみの愚将の集団だった
柳川に本城をもつ筑後国主田中吉政は前領主筑紫広門の館跡を中心に本丸ニの丸・三重の堀を持つ城に改築して 支城としてここに三男の康政を置いた
田中家の長男は早くに廃嫡されていたので次男則政を支城久留米の城主としたたが早逝した 吉政は凡庸な三男をさしおいて四男の忠政を世継にした
慶長十四年吉政が没したので四男忠政が筑後国主となつた
家督を奪われた三男康政は弟忠政にうらみをもった
元和元年大阪夏の陣に忠政が遅延し合戦に間に合わなかったことは大阪側に内通していたと徳川方に誣告した
のち康政は生葉・竹野の三万石を分知されたが元和六年弟の忠政が死歿して田中家が断絶したのち近江国の一万石の料地を所有した
が康政はのち京都の近くに隠れ間もなく没したというがどうやら 福島城主はだらしない男だったようである
のち城跡は市役所となり城主に代わる数人の市長が政治を執ってきた なかには 仁義を忘れ うらぎって国政に参与している者もいるらしい 後世 康政同様永久に悪評を残すにちがいない
京都三玄院の石田三成の墓に面して田中一族某の墓があるという
康政の血をひく者の墓か (故石橋正良氏の調査)
関ヶ原の戦いで石田三成を捕えた大功により田中家は筑後国の太守になったことを思い会わせると不思議なめぐり合わせというほかはない