夜話 921 石橋忍月と海底元船発見
TV報道によれば長崎県鷹島海底での元船発見により国は文化財保護法により今年度中に「鷹島沖史跡」として指定するとのこと
この鷹島の文化的価値を九十余年まえ初めて世に訴えたのは山本健吉こと石橋貞吉の父石橋忍月長崎県議だった 帝大法科大学卒業後 北国新聞主筆・長崎地方裁判所判事を経て弁護士開業しながらの政治活動中だつた 本名石橋友吉 学生時代すでに文藝評論家として名をなしていた
森鴎外との「舞姫論争」などで著名
長崎県議忍月と「鷹島」のことを連絡してくれたのは愚生の『岩戸山物語』の読後感を寄せられた縁で知遇を得た長崎の弁護士故川原勲氏だった
大正八年いらいの県議としての活躍ぶりを贈られた県会議事録により紹介する
大正十ニ年十一月の長崎県会で「高島秋帆邸・シーボルト宅跡・鷹島の元寇遺跡の史跡保存を県に要望 「鷹島の元寇史跡を本省に手続き中」との回答を得ている
当時の指定がどのようになつたかは忍月資料からは推測できない
ただ高島邸・シーボルト宅跡はすでに史跡指定 今回の海底元船発見により鷹島が国の指定史跡になれば忍月が九十余年前に長崎県議会での要望が実現するわけである
平成四年元寇の碑文を写し取るために鷹島を訪れたが夜話738のとおり 筆写できなかった
そのご忍月の身うちのかたの好意で全碑文を入手できた
全文漢字 字数は八百二十ニ 末尾に法学士石橋友吉撰とある
文の内容は「元寇における鷹島での戦いと神風により元の大群船が全滅した」こと
碑は大正四年十一月十日 大正天皇即位を記念して当時の鷹島町青年団により建立された
そのころ忍月は長崎市で弁護士を開業したがまだ政界入りはしていなかった
のち県会議員となった石橋忍月は鷹島を含む三遺跡についてその保存を行政に訴えたのである 建碑から四年目だつた
TVの報を聞きながら文人議員を偲ぶや切なるものがある
なお碑文の磨滅を惜しみ平成十四年 元の碑の側に町民有志による新しい碑が建立されたという
(敬称略)
上 県議時代の石橋忍月
下 元寇記念碑忍月碑文