夜話 8 酒井田柿右衞門 | 善知鳥吉左の八女夜話

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 夜話 8  酒井田柿右衞門


もと上妻氏の一族で初代酒井田家の統領は上妻久家という。

酒井田熊野神社棟札にその名の書き入れがある。

天正10年(3年説あり)肥前龍造寺氏の辺春城侵略のとき辺春氏を援け酒井田一族は出陣して全滅した。

その戦いで無名少年(同時代説なし弥次郎説とらず)が人質となり、肥前白石郷の上野讃岐守入道用伯に預けられる。

用伯の庇護はすぐれ、たくましく育ッた少年は後に円西と名乗る。以下円西。

青年期に現有明町飯森山麓の坂田で日用雑器を焼く。画家善知鳥は現地を視察した。

円西が20才のとき長男喜三右衞門が誕生。この子がのちの初代柿右衞門である。

当時は肥前領主は鍋島氏に代わっていた。

そのころ朝鮮陶工の李参平(いさんびょん)日本名の金ケ江三兵衞が有田で白磁鉱を発見する。

円西親子らは有田に移住して磁器生産をはじめる。

元和3年 円西41才、喜三右衞門21才のときだった。

当時日本では色絵磁器の生産技術は無く、円西親子の苦闘は戦前の国語読本の『陶工柿右衞門』を参照。

喜三右衞門により寛永20年に柿色の絵付けに成功する。

本邦最初の色絵磁器の誕生である

加えて米のとぎ汁に似た乳白色(にごしで)の生地の発見により色絵の映え飛躍する。

藩主より柿右衞門の名を賜り以後襲名とする。

酒井田円西は博多天承寺鉄舟和尚と交流あり、秀吉の御用焼物師の原五郎七を紹介される。。その人徳と識見を知る古文書が残っている。円西は慶安4年没 75才。

初代柿右衞門は寛文6年没 70才。

14代柿右衞門は襲名前に八女の故地を訪問する。善知鳥は案内する。社会教育課山口係長らが同行した。

酒井田氏の館跡・酒井田氏神の長田丸宮天満宮(移築前)・熊野神社・先祖の菩提寺光明寺跡などを視察する。

先年13代と鍋島知事調査のときまでは館跡の礎石があったが今はない。

移動新築した長田丸宮天満宮に地元有志により平成14年10月13日「酒井田氏一族発祥地」碑建立。

酒井田氏寄贈の柿の木のそばに副碑として 戦前の国語教科書の『陶工柿右衞門』の故事を焼成した柿右衞門工房による陶板を配置する。
久留米市櫛原の酒井田計雄氏宅に酒井田系図や辺春合戦の
大友氏の感状などがある。

写しを善知鳥は横町交流館寄付し現在展示

系図には後世の手が入つているが貴重資料である。
(敬称略)