夜話  9 帰居庵 坂本繁二郎 | 善知鳥吉左の八女夜話

善知鳥吉左の八女夜話

福岡県八女にまつわる歴史、人物伝などを書いていきます。

夜話 9  帰居庵 坂本繁二郎


坂本繁二郎が、パリ近郊のバルビゾンに似ているとして八女定住を決意したという話はよく知られている。


しかし「野菜の切れはしが落ちて草が生えている八女では餓えることはない」と背水の想いで八女に居を定めたことはあまり知られていない。


文化団体が毎年11月3日に坂本顕彰に「帰居祭」をやっていながらである。

先年「帰祭」と看板をあげて催したとも聞いた。


不埒な顕彰をするものだ。


画家善知鳥は前々からこの雅号の出典を坂本にじかに聞こうと思っていた

                          
善知鳥吉左の八女夜話
ある日「董仲敍(とうちゅうじょ)伝からでしょうか」というぶしつけな問に「ほう、漢書を読みましたか」と逆に問われ善知鳥は応えに窮した


善知鳥はその坂本の逆質問で雅号の由来は決定したと思っている。

善知鳥が漢書など読むはずもない。


そのころ善知鳥は千葉県印旛あたりの豪農の家に住み込んで田の草とりに、へばる毎日をおくっていた。


勤労奉仕のためだった。

白めしにありつけたことと、でっかい草魚を蛙で釣り上げて食ったこと、田んぼにヒルが群れていたことを善知鳥は思い出す。


「漢書」のことは歌人吉植庄亮が教えたくれた。

善知鳥が白飯にありついていた豪農の主は吉植庄亮だった。


「東条の下野」で国会をほったらかして帰郷したとのこと。

吉植は当時著名な歌人で代議士だつた。


その吉植が「おれも下野して田舎暮らしがしたい」と言って董仲敍伝を語り、「東条の下野」とは質が違うと力説した。


董仲叙は漢の武帝に王道を説いた中国の儒学者で、江都省の宰相だったらしい。

江都省は分からないが漢書に彼の伝記がありそこに「帰居」があった。


「位を去り帰居に及び、ついに家産の業を問わず」と。


「一切の栄誉を捨てて、野に隠れ、学問に専念し、生涯貧に甘んじた」ということだろう。

まさに「帰居」とは坂本の決意を表明する雅号だった。


(敬称略)