サッカーでプロになろうと思ってたけど、なれなかった大学4年の冬
「プロサッカー選手じゃなく、キックボクシングでプロになってK-1に出る」
って決めて上京して、シルバーウルフに入会したのが2006年
入会してすぐ、魔裟斗さんの師匠だったヌアトラニに
「お前は強くなるから教えてやる」
みたいに言われて、ヌアさんに必死に食らいついた
入会してちょうど1年ぐらいの2007年にヌアさんがプロデビュー戦を決めてくれた
けど、昼間の仕事とか東京生活が嫌になり練習に行かず、ヌアさんの電話を無視して、何も言わず試合もぶっちぎって地元に帰った
2ヶ月ぐらいたったとき、だいぶダサいなと思って東京に戻り、ヌアさんに謝りに行ってジムに戻った
そして、2008年にプロデビューし、2015年にK-1ファイターになれた
キックボクシングをはじめて12年、プロになって10年、本当に沢山の人間に出会い、応援して頂き、支えられてた
デビュー戦に駆けつけてくれた仲間、友達、応援してくれる人は50人ぐらいだったけど、毎試合増えて100人以上は当たり前になり、最初のタイトルマッチは350人、全試合平均すると150人ぐらい
地元福島の仲間、大学の青森で出会った仲間、東京で出会った仲間が、俺の応援を通して繋がるのもなんか不思議で嬉しかった
3分3Rのたった9分に5000円以上の金を払って、チケット代だけじゃない時間ってお金も使ってくれて、福島とか地方に住んでる人は高い交通費も
兄弟分、親友、先輩、後輩、家族…
会場での大声援、全てのみんなに本当に感謝しかない
心の底から、ありがとうございました
ありがとう
今まで1回でも会場に来てくれた人、会場には来れなかったけど応援してくれてた人も
ありがとうこざいました
ありがとう
ずっとスポンサーとしてサポートしてくれてた人、スポンサーになって下さった事がある方々、ずっとパンツスポンサーになってくれた人、なって下さった事がある方
ありがとうこざいました
ありがとう
身体のケアでサポートして下さった2人、日本一のアロマセラピスト、マミーズタッチ・アロマドゥース のゴッドハンド マミさん
代田橋 河合整骨院・鍼灸治療院 院長、同じくゴッドハンドのマサさん
ありがとうございました
3年前に地元の福島いわきで、元法務大臣の岩城光英さんと、いわき湯本 A家食堂 の岩立文子さんの元、発足した後援会にも本当にお世話になりました
岩城さん、あーやさん、高城さん、康成…
イベント含め関わって下さった全ての皆さん、後援会の会員になり応援して下さった皆様
ありがとうこざいました
10年前、入場曲を作ってくれた青森にいるアニキ、こうじさん
ありがとうございました
アニキら Nort Hempire は全員ラッパー
俺もクルーでキックやる前はラップやってたけど、まーひどいもんで、途中から 格闘技担当 って枠に…
ボス、引退なんでラッパーに戻ります 笑
そして、シルバーウルフの代表であり偉大な先輩、大宮司さん
自分を強いと思った事は1度も無いし、不器用でセンスが無い俺を、優し過ぎて格闘技は向いてないって色んな人に言われた俺を、ここまで育ててくれて、ここまで闘わせて頂き、キックボクシングだけじゃなく、俺なんかまだまだだけど、人としても育てて頂いた
大宮司さんの言葉はキックボクシングに関しても、人生観に関しても、深み重み温かみがあり、自分じゃ考えつかない答えを、沢山、出して下さって、目線も自分の所まで落としてくれて、アホな俺にも解りやすく話して下さった
勉強になる話から、面白い話でいつも笑わせてもらってた
ありがとうございました
今まで関わったシルバーウルフの仲間、一緒に練習したみんなにも感謝しかない
モルドバに2回目の試合で行った時セコンドでついてきてくれた、歳も経験も先輩の城戸さん
面白い話でいつも笑わせてもらったし、ハイキックと顔面膝で何回やられたか…
ありがとうございました
そして、塚越と左右田
シルバーウルフ入会時期、デビュー時期からずっと一緒だった、ライバルであり最高の仲間
1番スパーリングしたし、毎日倒れ込むまで練習した日々は、俺のこれからの力になると確信してる
ありがとう
シルバーウルフじゃないけど、高校3年間一緒のクラスで、高校卒業の時
「Jリーガーになった陽一の個人トレーナーになるよ」
って言ってた小泉傑は、スグルが独立した年にプロキックボクサーになった俺のトレーナーになってくれた
俺の身体のポテンシャルを引き出すトレーニングから弱点克服のトレーニング、身体のケア、先を観てのその時期のメニュー、状態をみてのメニュー変更とか、とにかく色々な事を考えやってくれた
トレーニングの時は先生だから、意見を言ったり話し合ってやったりだったけど、元に親友・仲間ってのがあるから、一緒だとメンタルで落ち着くし、数年前からは試合の時セコンドに入ってもらって、アップ前のストレッチや準備をお願いした
親友として、トレーナーとして、信頼しか無かった
スータン、ありがとう
現シルバーウルフマネージャー
同じ福島いわき出身の 憲さん
ありがとうございました
思い出も沢山あり過ぎる
闘った相手で1番強かったのがグレゴリアン
緊張した事無い俺がした緊張って思い出で言うと、唯一1試合だけあって、2014年の名古屋Krushでの佐藤嘉洋さんとの試合
あの時は控え室に入った瞬間から帰りたいって思って変な汗が出た
K-1 MAX での佐藤さんと魔裟斗さんの試合のイメージが強過ぎてだったと思う
いいパンチが入ったと思ってもガツガツ前に来られ
この膝をもらいまくり
試合中は大丈夫だったけど、試合後、歩くと腰と背中に激痛が走り、次の日病院で
「車に衝突されたぐらいの衝撃じゃないとこうはならない」
って言われ、治るのに数ヶ月かかった
試合後のダメージで言うとこれが1番
試合じゃないけど、キックボクシング12年間で、いや、35年生きてて1番緊張したのが、デビューしたての2009年、引退直前の魔裟斗さんにスパーリングやろうって言われた時
魔裟斗さんとの初めてのスパーは、始まるまで震えてた
焦るって事もあんま無いんだけど、これも唯一焦ったのが、2012年にヨーロッパのモルドバで試合が決まって、出発の日、成田に着いてパスポートを見せると、これじゃ無理みたいに言われ、パスポート見ると期限切れだった時
あの時は焦ったけど、結局その飛行機には乗れず、セコンドも一緒に行けなくなったから、次の日、自腹で1人モルドバに向かって、そこからはなんかワクワクで、ドイツで乗り換えてモルドバに着き、大会関係者と合流してバタバタだったけど、英語話せなくても中学レベルの英単語とノリで何とかなる事が分かったし楽しかった
たまたまホテルに泊まってた日本人の人達は、日の丸作って会場で応援してくれたし、それからの日本での試合も会場に観に来てくれたりとか、ほんとイイ人ばかりと出会えた
4泊5日のモルドバ遠征で出会った人達にはだいぶ助けられたし、数人とは今でも繋がっててて日本に観光に来た時に会ったりしてる
プロ生活10年で戦歴が
44戦24勝(13KO)16敗4分
獲得タイトルが
第3代Bigbangスーパー・ウェルター級王者
対戦した44人の選手にも感謝
最後の試合が2018.9.30のKrushでの試合だったけど、負けたから引退じゃなく、あの日は勝っても負けても引退って決めてた
近い人やずっと応援してくれてるみんなにはあの試合後はっきり伝えたけど、8月に気持ちが変わる出来事があって、俺の中の優先順位1番が命をかけてリングで試合するの事じゃなくなった
その瞬間…
いや、9/30の試合2週間前
「ここが引くタイミングだな、リングの上はそんなに甘くない」
って思って決めた
もちろん、9/30の試合は何が何でも勝つ、倒す、って気持ちで臨んだけど、結果は負け
でも、リング上で負けの判定を聞いて1ミリも悔しく無かったのは初めてだった
だから、あの試合が終わって引退とは言ってるけど、選手としては8月に終わってたと思う
応援してくれてた人に
「格闘家 山崎陽一 の応援ありがとうございました」
って伝えたら
「K-1ファイター山崎陽一の戦い方が好きだったしまだまだ見たいから残念。けど、別に 格闘家 山崎陽一 を応援してた訳じゃなく 山崎陽一 を応援してただけで、元々 山崎陽一 って人間が好きでファンなだけ。これからも変わらないし、これからも宜しくね」
みたいに言ってくれた人がほとんどだった
改めて思ったのは、俺は最高の人達に出逢えて応援してもらってたんだなぁと
みんな、宜しくね^_^
そして母ちゃん
22の時、キックボクシングをやるって言ったら
「まー頑張りな」
って感じで、プロになっても試合は観に来なく、ある時
「未熟児で産まれて身体も弱く、大きく丈夫になって欲しくて頑張って育てたのに、なんで殴られるとこを見ないといけないの?」
と言ってたけど、途中からは毎試合、会場に来てくれるようになって、声出して応援してくれてたみたいで良かった
丈夫に育ててくれたからデカい怪我もなかったし、もう試合は無いから安心してくれ
離婚して親父がいなく、女1人で俺と兄弟2人の3人を育ててくれた母ちゃんは尊敬してる
ありがとう
母ちゃんを試合に連れて来た、姉ちゃん、妹、ありがとう
格闘家がSNSで彼女とか奥さんとか子供の事書いたり、写真載せるのは何となく無いなって思ってしまってた俺
けど今回だけ
高校で出会って約19年、ずっと俺の側で応援、支えてくれ妻にもありがとうと言いたい
引退式とかあってもやらないって思ったけど、実際オファーがあって考えたら
「引退式やれるのは選手として本当に有難いし幸せな事だな」
って思いやる事に決めた
もう殴り合いたく無いから試合はしない引退式だけど、山崎陽一最後のリングインは
12/27 木曜日
Bigbang 後楽園ホール大会
年末で忙しい上ど平日だし、試合もエキシビションも無いのにチケット買って会場に来てもらうのは申し訳ないけど、それでも来てくれるって人は連絡下さい
引退式の話を下さった
K-1・Krush プロデューサー 宮田さん
Bigbang 代表 谷山会長
ありがとうございます
関係者の皆様、12/27は宜しくお願い致します
山崎陽一35歳、これからは、キックボクシングで繋がった沢山の最高の人達との縁を大切に、全ての経験を活かし、家族、仲間を大切に、これからの縁も大切に、次のリングでも真剣に頑張って謙虚に真っ直ぐ生きていきます
最後に、このクソ長いブログを読んでくれた人、ありがとうござます