2023令和5年。
今年もまた、線香を携え各地の墓参へ。
志半ばで散った無念の人がほとんどか、いや、皆そうか。
とはいえ明日から2024、皆さま今年も読んで頂きありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
●佐々成政墓所
秀吉の逆鱗にふれ、肥後から呼びつけられ、尼崎の法園寺にて自刃。
あの厳寒のアルプス越えを成し遂げた猛将の伝説が今も信州に強く伝わる。
●萱野三平墓所 大阪府箕面市萱野
吉良邸討ち入りに加わること叶わず自害、享年28歳。赤穂四十八人目の義士。
忠義の信念を貫けば親兄弟に「孝」が立たず、「孝」なさんとすれば赤穂への「忠」が立たず。
萱野家旧宅に祀られる萱野三平像。
●平薩摩守忠度墓
一の谷の戦いで敗れた平家の武将、平薩摩守忠度(ただのり)。
源氏の岡部六弥太忠澄と一騎討するも片腕を斬られ、その場で自害。
神戸市長田区に胴塚と腕塚がそれぞれ祀られている。
忠度は清盛が弟、和歌の名人としても知られていた。
●豊臣秀頼・淀君自刃の地(大阪城山里丸)
秀頼の首塚は京都・清凉寺に。淀君は大阪・太融寺に。
だが大阪城内の、この地こそ秀頼の墓地と。
それにしても秀頼、夏の陣は何ゆえ自ら先頭に立ち出陣しなかった?
すぐ近くに、共に城内にて自害した三十二人が祀られている。
毛利勝永、真田大助の名が。
京・清凉寺の秀頼首塚。
因みに、家康はなんと秀頼一子の国松七歳も斬首している!
京都東山・阿弥陀ケ峰に墓塔があるというがいまだ墓参していない。
●曽我兄弟墓(富士宮市上井出)
まっすぐ緩やかな石段をゆっくりのぼっていくとそこに。
杉木立に囲まれた兄弟の墓塔が静かに並ぶ。
ここは兄十郎祐成が、乱闘の末、ついに討ち死した地という。
●山吹姫墓
木曽義仲妻妾の山吹姫は伝承の人とも。しかし全国各地にその墓が存在する。
長野県麻績村の山吹堂。
出陣した義仲を追ってこの地で病没したという。
滋賀県JR大津駅前の山吹地蔵堂。
句碑も立てられている。
また義仲寺には山吹塚が巴塚と並ぶ。
●賤ヶ岳合戦戦没者霊地(滋賀県長浜市余呉)
賤ヶ岳の頂へ登る途中に廟堂も。
頂には、戦い疲れた兵士の像が。
●大川小学校慰霊の碑(石巻市大川)
2011年3月11日の巨大津波の大川地区犠牲者418名の慰霊碑。
特に大川小学校は児童74名、教職員10名が亡くなった。
●石田三成一族墓所
長浜市石田の石田神社に、石田一族の石塔が集められ。
三成一族と家臣の供養塔、三成の辞世碑などが立つ。
三成は斬首後、京都・大徳寺の三玄院に葬られた。
明治時代、遺骸が発掘され綿密な調査が行われた。
その結果、まさに三成の遺骨だったという。
●大谷吉継墓所(関ケ原町藤井)
いつ何時行っても、吉継さんと五助さんの墓には花が供えられている。造花は僅か。
もう何十年も前からである。
すぐ近くから、小早川秀秋陣所の松尾山が一望できる。
そして、
●整ちゃんこと竹内整一東大教授墓所(長野市清水寺)
今年、最も悲しい我が親友の墓参。
「クルマ気をつけろよ、(九州から)帰ったら飲むぞ」と、長野市で会う約束までしていたのに…。
小学校入学式、1年竹組、1年菊組だったのに。なんてことだ!