岡崎から北へ。
豊田市の、今や何百(千)万石のトヨタ城下町のビル街、工場群を抜けて。
豊田市寺部町の守綱寺。
家康十六神将の一角「槍の半蔵」と敵味方に畏怖された渡辺半蔵守綱の墓所へ。
渡辺家の墓所。
土になじんだ紅葉の絨毯が、まだ美しく残っていた。
渡辺家代々の墓塔が並ぶ。
初めて見る墓塔の形だったが、住職もこの墓塔の形を何と呼ぶか知らないという。
墓域の中央奥に半蔵守綱の墓。
刻まれた字は磨滅していて読めない。
「渡辺姓は今も全国に多いのですが、あの頼光四天王のひとり、渡辺綱を祖として『綱』の一字を付ける方が代々多いようです」と住職。
半蔵守綱は、三河一向一揆で一度は家康に反したが、その後許されたため感恩して忠誠一途、合戦ではつねに先陣を駆け巡ったという。
大河ドラマでいかめしい守綱役を演じた木村昴さんは、わざわざここへ墓参に来たそうな。
ドラマ一場面。中央槍を携えて立つ半蔵守綱。
写真はお借りしました
半蔵の忠義に徹して仕える姿は次第に家康に認められ、一万四千石を領する大名に。
そしてついには、御三家尾張徳川家の家老職に栄進した。
続いて同じく十六将に列する平岩親吉の墓所、妙源寺(岡崎市大和町)を訪ねる。
ムムム、ここはまた境内が広いではないか。
本堂。
そして大河ドラマによく出てきているというのに平岩親吉の墓所の案内はなく、まったくわからない。
さて、何処に親吉さんは眠っているか。
こういうときに限って住職さんも留守…。
広い境内を数度徘徊、歩き回る、大小の五輪塔がいくつも並んでいる。
平岩親吉の墓所は名古屋市千種区の平和公園内に整備されているという。
林立する五輪塔、なかなか刻まれた字が読めない。
すると,おぉ、これは家康家臣で、後に幕府の老中、ついで紀伊徳川家附家老に出世した安藤帯刀直次墓ではないか…。
こっちは本多平八郎忠高。
あの平八郎忠勝の親父さんだ。
おいおい、親吉さんは…どこだ? すると、
あった! やっと見つけた!
「平岩主計頭親吉公墓所」と刻まれていた。よかった。
何の新しい標柱もなし、単独の五輪塔か。
ともあれついに見つけた、平岩親吉さん、いや親吉公。
ドラマでは岡部大さんが扮して嫡子信康の傅役などとして随所に活躍した。
写真お借りしました
親吉は、家康の関東国替え後は厩橋3万石に、関ケ原後は甲府6万石へと栄進、最終的には御三家尾張徳川義直の附家老として犬山藩主12万石を領した。
親吉は何かと半蔵を推して、一向一揆で反した半蔵を庇って、家康に推したという。
また尾張徳川義直附家老の後任に半蔵守綱を推挙したのは親吉だったとも。
さて、次はやはり夏目吉信さんのところへ。
三度、いや四度となるか、法蔵寺へ足を運ぶ。
次回。