●豊後・佐伯城に喘ぐ… | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

「本丸まで20~30分ぐらい」と地元の方。

ウーン…、帰ってこれるかが不安。

しかし、本丸の石垣を下から仰ぎ見ると、登ってみたい。

 

標高140㍍。「行くぞ‼」。

 

三の丸櫓門からスタート。

 

それほど急ではないが、登り道が続く。

 

残り700㍍か…。

 

平坦な登りに見えるのだが…。

なんとか行けそうか。

途中、おぉ、豊後水道の海が見える。

 

まだまだ歩く、登る。

 

おっ、石垣!

 

つ、着いたか、着いた! すごい、本丸外曲輪を支える四段の石垣。

 

本丸台外曲輪の上から四段の石垣を見おろす。

 

独歩碑。

国木田独歩は佐伯で英語の教師をやっていたという。

佐伯の地を題材にした作品が多かったというが(ムム読んでない)。

 

佐伯城は、初代城主・毛利高政によって慶長11年に築城、高政は2万石の藩主に。

因みに、我が松本城主だった石川康長は改易され後にこの地に配流となり、毛利高政が預かった。

 

城は、十数年後失火で三層の天守などを焼損、その後も毛利氏が代々藩主だったが、天守は築城されなかったという。

しかし石垣は当初のまま、ほとんどが現存しているという。

 

本丸内のほぼ正方形の天守台の石垣は高く、6㍍近くあるらしい。

 

本丸を囲む本丸外曲輪は、犬走りのような形をなす。

 

石垣に沿って、二の丸方面へ

 

天守台への渡り廊下橋口

 

ここから二の丸へ。

二の丸は広く、高い石垣に守られている。

 

眼下に広がる市街地、番匠川が左手に流れ、海に注ぐ。

 

二の丸をしばらく歩いていくと、西出丸とつながる虎口へ。

 

かつては渡櫓、門が築かれていたという。

ここが佐伯城の大手門だったということか。

 

西出丸を下って三の丸へ近いらしいのだが、無理無理、急坂!

いやぁ、本丸から二の丸、西出丸と平坦だったので、ついつい歩いてしまってかなり足が辛くなってることに気づく。これはまずい。

これはもう帰らないと!

 

登って来た道の独歩碑まで戻る。

下り道、足がブルブル震えて、休み休み立ち止まり…。

 

やっと三の丸櫓門の駐車場へ、やっとやっと到着、じかれたぁ、およそ9000歩。

達成感より疲労感。ばてたぁ~

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