●賤ヶ岳 琵琶湖よ 余呉湖よ 七本槍よ! | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

今まで賤ヶ岳に登った時は振り返ることもなく、ロープウェイを降りると頂めざしてひょいひょいと走ったんだろうな、きっと。

 

かつての写真ファイルにこんな写真⇩が1枚もない。

今回は琵琶湖の絶景を振り返っては登り、また振り返り…。

腰を休め、息を整え…。

本日天気晴朗、波静かなり。

 

おぉ、武者が迎えてくれた。この紋所は誰じゃ? 福島市松どんか。

賤ヶ岳にてこんな晴天に恵まれたのは初めてのような気がする。

でも頂上まではかなりある。

 

けっこうきつい。

 

途中でまた迎えてくれたこの方は七本槍の一人、脇坂安治さんか。

到着、着いた! 三峰城より超カンタンだった、うれひー!

おお絶景! 琵琶湖よ。

素晴らしい!

 

そして眼下の余呉湖も!

 

鳥どもも 寝入っているか 余呉の湖

 

合戦で疲れ果てた戦士の像。七本槍の像でないのがいい。

 

この合戦での秀吉方戦死者およそ五千、勝家方八千余だったそうな。

「こんな急坂急崖だらけの山というか尾根で、どうやって兵たちは戦ったのか不思議、みんな転げ落ちないように必死で、戦うどころではなかったのでは??…」

かつて賤ヶ岳を訪ねてきたという卒業生が述べた言葉。

そう! 私も賤ヶ岳にていつも思う不思議。

 

長浜・彦根方面を望む。

大垣城からの見事な大返しが功を奏し、

合戦は、秀吉麾下の若い旗本たちの奮戦もあって圧勝にした。

 

賤ヶ岳といえば七本槍!

加藤清正、福島正則、加藤嘉明、平野長泰、

脇坂安治、糟屋武則、片桐且元。

しかし七本槍に石河兵助桜井佐吉を加えた九本槍だったとも。

私がかつて読んだ読み物は、上記七人に、もともと石田三成と大谷吉継が加わって九人だったが、江戸時代になって削除されたとも、そんなんを読んだ記憶がある。

 

賤ヶ岳の次、明日は、何を隠そう、三成の佐和山城登城をもくろんでいる列伝、

そして関ケ原、石田村、観音寺へも行こう…。

そんなことを思いながら、再び広大な琵琶湖。

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