今まで賤ヶ岳に登った時は振り返ることもなく、ロープウェイを降りると頂めざしてひょいひょいと走ったんだろうな、きっと。
かつての写真ファイルにこんな写真⇩が1枚もない。
今回は琵琶湖の絶景を振り返っては登り、また振り返り…。
腰を休め、息を整え…。
本日天気晴朗、波静かなり。
おぉ、武者が迎えてくれた。この紋所は誰じゃ? 福島市松どんか。
賤ヶ岳にてこんな晴天に恵まれたのは初めてのような気がする。
でも頂上まではかなりある。
けっこうきつい。
途中でまた迎えてくれたこの方は七本槍の一人、脇坂安治さんか。
到着、着いた! 三峰城より超カンタンだった、うれひー!
おお絶景! 琵琶湖よ。
素晴らしい!
そして眼下の余呉湖も!
鳥どもも 寝入っているか 余呉の湖
合戦で疲れ果てた戦士の像。七本槍の像でないのがいい。
この合戦での秀吉方戦死者およそ五千、勝家方八千余だったそうな。
「こんな急坂急崖だらけの山というか尾根で、どうやって兵たちは戦ったのか不思議、みんな転げ落ちないように必死で、戦うどころではなかったのでは??…」
かつて賤ヶ岳を訪ねてきたという卒業生が述べた言葉。
そう! 私も賤ヶ岳にていつも思う不思議。
長浜・彦根方面を望む。
大垣城からの見事な大返しが功を奏し、
合戦は、秀吉麾下の若い旗本たちの奮戦もあって圧勝にした。
賤ヶ岳といえば七本槍!
加藤清正、福島正則、加藤嘉明、平野長泰、
脇坂安治、糟屋武則、片桐且元。
しかし七本槍に石河兵助と桜井佐吉を加えた九本槍だったとも。
私がかつて読んだ読み物は、上記七人に、もともと石田三成と大谷吉継が加わって九人だったが、江戸時代になって削除されたとも、そんなんを読んだ記憶がある。
賤ヶ岳の次、明日は、何を隠そう、三成の佐和山城登城をもくろんでいる列伝、
そして関ケ原、石田村、観音寺へも行こう…。
そんなことを思いながら、再び広大な琵琶湖。