●松代から上田へ、次は目的地・佐久 岩尾城の古戦場へ、そして秩父騒動の最終決戦古戦場へ | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

松本安曇野から佐久はかなり遠い

なんとなく他県に来た感じで、道も分からないところが多いし、知識も少ない。

安曇野では北アルプスが日夜仰ぐ霊峰なれど、佐久はまさに浅間山。

中山道の宿場は旅人が、浅間山をよく仰げるよう道筋を工夫してあるとか。

この日、噴煙は見えなかった。

そんな佐久平のほぼ中心に、古戦場の岩尾城(佐久市鳴瀬)が。

合戦の主役は攻め手の、依田信蕃

 

「よだのぶしげ? 誰ね?」あの家康がその死を惜しみ、嘆息したという未完の英傑…。
当初武田氏に仕え、遠江二俣城・駿河田中城の守備などにあたる。
武田滅亡後、家康の信を得て臣従。

信長の死後は混乱する東信・佐久地域の平定を任され、北条方と抗争しつつ支配を強めた。
しかし天正11(1583)年、北条方の岩尾城を攻撃中に戦死。

享年36

 

「信蕃が存命ならば、真田をしのぐ大物武将ぞ。徳川家の重臣に列したのはまちがいあるまい」
と、知る人ぞ知る剛健な戦国武将。

 

次回連載「信州知られざる古戦場」その7は、岩尾城の合戦について。

その岩尾城へ。

軍艦のように横長に見える城。

かつて夏に来た時に撮ったのがよかったかなぁ。

この城に、地元の豪族・大井行吉が北条方として立て籠もり、徳川方の信蕃と相まみえたのだ。

手前流れるのが千曲川。

城のふもとに城の守将だった大井氏の墓所が。

 

あらためて信蕃像を撮りにいった。蕃松院(佐久市田口)へ。

豪壮な古刹。

父・信蕃の菩提を弔うために、嫡男の松平康国が開基した。

本堂内に信蕃像が。

詳しくはまた、来月に。

 

それよりここまでくれば、やっぱりちょっと立ち寄りたくなるのがすぐ目の前の五稜郭・龍岡城

ぐるっと一回り。

   

城内の小学校も近く廃校とか。この広い敷地はどうなるんだろう。

というわけで五稜郭をあとにして、主目的の秩父騒動の、佐久の合戦場へ。

国内最後の内戦は、西南戦争でなく秩父事件の戦いといえる。

まずは戦死者の慰霊塔の墓参。

やはり夏に撮ったのがきれい。

「暴徒」か…。委細続きはまた。

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