松本安曇野から佐久はかなり遠い。
なんとなく他県に来た感じで、道も分からないところが多いし、知識も少ない。
安曇野では北アルプスが日夜仰ぐ霊峰なれど、佐久はまさに浅間山。
中山道の宿場は旅人が、浅間山をよく仰げるよう道筋を工夫してあるとか。
この日、噴煙は見えなかった。
そんな佐久平のほぼ中心に、古戦場の岩尾城(佐久市鳴瀬)が。
合戦の主役は攻め手の、依田信蕃。
「よだのぶしげ? 誰ね?」あの家康がその死を惜しみ、嘆息したという未完の英傑…。
当初武田氏に仕え、遠江二俣城・駿河田中城の守備などにあたる。
武田滅亡後、家康の信を得て臣従。
信長の死後は混乱する東信・佐久地域の平定を任され、北条方と抗争しつつ支配を強めた。
しかし天正11(1583)年、北条方の岩尾城を攻撃中に戦死。
享年36。
「信蕃が存命ならば、真田をしのぐ大物武将ぞ。徳川家の重臣に列したのはまちがいあるまい」
と、知る人ぞ知る剛健な戦国武将。
次回連載「信州知られざる古戦場」その7は、岩尾城の合戦について。
その岩尾城へ。
軍艦のように横長に見える城。
かつて夏に来た時に撮ったのがよかったかなぁ。
この城に、地元の豪族・大井行吉が北条方として立て籠もり、徳川方の信蕃と相まみえたのだ。
手前流れるのが千曲川。
城のふもとに城の守将だった大井氏の墓所が。
あらためて信蕃像を撮りにいった。蕃松院(佐久市田口)へ。
豪壮な古刹。
父・信蕃の菩提を弔うために、嫡男の松平康国が開基した。
本堂内に信蕃像が。
詳しくはまた、来月に。
それよりここまでくれば、やっぱりちょっと立ち寄りたくなるのがすぐ目の前の五稜郭・龍岡城。
ぐるっと一回り。
城内の小学校も近く廃校とか。この広い敷地はどうなるんだろう。
というわけで五稜郭をあとにして、主目的の秩父騒動の、佐久の合戦場へ。
国内最後の内戦は、西南戦争でなく秩父事件の戦いといえる。
まずは戦死者の慰霊塔の墓参。
やはり夏に撮ったのがきれい。
「暴徒」か…。委細続きはまた。