一路、めざす岡山県津山城までは、まだまだ遠い。
鳥取まで来たんだから、荒木又右衛門の墓参をせねば、せねばならぬ!
あぁ、ついにここ玄忠寺の墓所へ来た。
門前に、荒木又右衛門墓所を示す標柱あり。
説明板も。
そしてなんと境内にはこじんまりした記念館も。
これがまたよかったなぁ。
……「ところでさ、又右衛門とやらは、いったいどんなに強かったっていうんかいな~?」
① なんてったって、あの伊賀の鍵屋の辻にて、義弟・渡辺数馬の仇討ちの助太刀をして、仇の河合又五郎の付け人をバッタバッタと、なんと三十六人も斬った。
その時、斬りあいの途中でポッキリ折れてしまったという太刀は記念館に保存されていた。
決闘の場、この辻は今も交通が激しい。
石碑には、「伊賀越復讐記念碑」と刻まれている。
② 柳生新陰流・将軍指南役の柳生飛騨守宗冬の木太刀に対して、丸めた奉書紙にて正段の構えで対峙、宗冬はついに又右衛門を打ち込めなかった。
これが名高い奉書の剣なり!
③ 又右衛門の剣の師匠は、宗冬の兄、あの隻眼の柳生十兵衛三巌で、伊賀の柳生屋敷で学んだという。
④ ある時、又右衛門は念じて精神を統一、池に映る満月を斬ったところ波もたたず、水面に斬った筋が残ったとか、くわっー。
これがいわゆる水月の剣なり!
⑤ 又右衛門のあまりの凄さ・強さに世は、「荒木の前に荒木無し、荒木の後に荒木無し」と称えた。
又右衛門の誕生地は、伊賀の荒木の里。
巨大な誕生地の碑が立っている。
すぐ隣のお弁当屋さんが、「荒木又右衛門店」とは、いい名前だなぁ。
仇討ちが闘われた鍵屋の辻の茶屋は、今も昔のままのたたずまいで、ここで又右衛門らは仇を待ち伏せたという。
ここを数馬茶屋という。
私はうどんを食した。
伊賀の仇討ち現場近くには、こんな立派な唐破風造りの仇討ち資料館が。
おもに講談話の絵が飾られたりしていた。
で、こっちの鳥取の資料館では…。
「仲代達也が又右衛門役をやったNHKの正月時代劇、面白かったですよ。大昔だから見てないでしょうね」
「荒木又右衛門吉村っていうんですよね」
「一般には保知・やすともが多いですよ」
「又右衛門関係の漫画や読み物まで、よく集めましたねぇ、すごいなぁ。ご苦労でしたね」
などなど、資料館での係の方との話はまだまだ盛り上がる…。