福井県から北上、石川県加賀市の篠原の合戦の古戦場へ。
十数年ぶり。
あぁ、実盛塚! これが見たかった!
ますます整備が行き届いていた。
塚の中央から生える巨大な龍のような松が一段と大きくなって実にかっこいい。
今から八百年前の、源氏・義仲軍VS平家軍のガチンコ対決。
倶利伽羅峠で負けた平家は、ここ篠原に背水の陣をしいた。
塚に眠る斎藤実盛は、平家方の武将として敗色濃い中で最後まで戦い抜き、手塚光盛と一騎討ちをしてついに討ち死。
光盛は、まさか相手が義仲の命の恩人・斎藤実盛とは知らなかった。
苦悶する光盛、天を仰ぐ義仲、首級を実盛と検分した樋口兼光。
三人の像が作られている。
このドラマを描いた像がいい。
表情もまたいい。
義仲は実盛を手厚く葬った。
塚のすぐ近くは日本海。かつて与謝野晶子は詠んだ。
「北海が 盛りたる砂に あらずして
木曽の冠者が 築きつる塚」
実盛は、故郷武蔵国・熊谷市の実盛が開基した聖天宮に像が立てられている。
広大な境内の一角に立てられていた実盛像は、手鏡を見ながら出陣前に髪を染めている姿。
その表情は、いかにも幼い義仲(当時2歳駒王丸)を救ってやったようなやさしい表情をしていた。