●関ヶ原・大坂の陣 負けても負けぬ武者たちの咆哮を追わねば | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

関ヶ原で、毛利勢の後詰にいた長宗我部盛親は、ほとんど戦うこともなく戦線を退き、敗軍の将となった。

毛利勝永は、なんと毛利輝元の陣中・南宮山に、まったく戦闘しなかった。

 

石田方の大谷吉継隊に、一子・大谷吉勝が。

敗戦の戦場を抜け流浪、大坂の陣で真田隊へ。

 

長宗我部盛親は、京都にて浪人、いざ大坂城へ。

 

明石全登は関ヶ原で宇喜多隊に在陣敗戦、もう一度、家康と戦うために大坂へ。

 

この他、後藤又兵衛、薄田兼相、塙団右衛門、そして木村重成などなど。

真田信繁とともに懸命に家康と戦って、散って、逝った「もののふ」たちがいた。

 

京都・下京区富小路通六条上ル蓮光寺にて、初めて長宗我部盛親の墓所を訪ねた時。

 

真田信繁以外、今まであまり思いもしなかった、考えもしなかった大坂の陣の敗軍の将のことを

ここ蓮光寺にてふと立ち止まり、空を仰ぎ思った。

 

「…敗軍の将たちの咆哮を聞きにいかねば!」

そういえば、かつて彦根で木村重成の首塚を見た時も。

 

あの時も、そんなこと思った。

どんどん忘れる、すぐ忘れる、早くせねば、早く行かねば。

にほんブログ村 ☚記事が良かったらぜひプッシュを!