●信州往来もののふ列伝・最終章は「蒲生氏郷」にて候 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

さてもさても、「信州往来もののふ列伝」いよいよ最終章にて候。

6月ぐらいからまた、新たなシリーズを展開する見通し。

 

その最終回は、将来を嘱望された大物大名なれど、無念、40歳で散った蒲生氏郷

「もし関ヶ原のとき蒲生が生きていたら…」

「大坂の役に、氏郷もし存命ならば如何に?」

などと、例え話がよく語られるほどの武将。

 

派手派手しい武勇伝はないものの、そこがまた氏郷らしいところ。

 

信長・秀吉の麾下にあって、主だった合戦にはほとんど参陣、小牧長久手の合戦後に29歳にて伊勢松ヶ島城12万石の大名に。

小田原の陣後には、奥州黒川城90万石の大々名に。

 

近江日野城の蒲生賢秀が信長に臣従した際、嫡子・氏郷は人質として岐阜に送られ、ここが氏郷の出発点だった。

信長は氏郷の非凡な才を見抜き、次女を嫁がせたほど。

 

滋賀県日野町は氏郷のふる里。

居城だった日野城址には、氏郷産湯の井戸が。

また近くの公園に仰ぐばかりの巨大な氏郷像が。

 

手には軍配でなく、なんと紙と筆を持って。

氏郷は歌人としても、また茶人としても当代一流の文化人だった。

そしてキリシタン大名、イタリア人の武将を従えていたというのだからおどろく。

 

ところでそんな氏郷がいつ信州の地を踏んだというのだろうか?

 

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