さてもさても、「信州往来もののふ列伝」いよいよ最終章にて候。
6月ぐらいからまた、新たなシリーズを展開する見通し。
その最終回は、将来を嘱望された大物大名なれど、無念、40歳で散った蒲生氏郷。
「もし関ヶ原のとき蒲生が生きていたら…」
「大坂の役に、氏郷もし存命ならば如何に?」
などと、例え話がよく語られるほどの武将。
派手派手しい武勇伝はないものの、そこがまた氏郷らしいところ。
信長・秀吉の麾下にあって、主だった合戦にはほとんど参陣、小牧長久手の合戦後に29歳にて伊勢松ヶ島城12万石の大名に。
小田原の陣後には、奥州黒川城90万石の大々名に。
近江日野城の蒲生賢秀が信長に臣従した際、嫡子・氏郷は人質として岐阜に送られ、ここが氏郷の出発点だった。
信長は氏郷の非凡な才を見抜き、次女を嫁がせたほど。
滋賀県日野町は氏郷のふる里。
居城だった日野城址には、氏郷産湯の井戸が。
また近くの公園に仰ぐばかりの巨大な氏郷像が。
手には軍配でなく、なんと紙と筆を持って。
氏郷は歌人としても、また茶人としても当代一流の文化人だった。
そしてキリシタン大名、イタリア人の武将を従えていたというのだからおどろく。
ところでそんな氏郷がいつ信州の地を踏んだというのだろうか?