●やはり高野長英は特別な思いで語る… | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

授業で高野長英を語る時は、どうしてもいささか、いや、かなり熱弁。
「長英はなんとしても牢を出て、多くの人に日本の危機的な状況を説きたかった。今で言えば、ノーベル賞クラスの学者の脱獄、もしかしたら放火も…」

このあたりは、多くの生徒が耳をこらす。
「おどろくことは、極悪犯ともいうべき長英を、全国で、各地で匿ってくれる人、逃亡を手助けしてくれるが人がいた。
それほど長英さんは当時の日本にとって必要な人だった…」

語る私も力が入る。
逃亡流転6年、江戸の人の海の中が隠れやすいと考えたが、結局捕まる。なんともかわいそうというか…」

吉村昭氏の「長英逃亡」をお勧め本として紹介し、
岩手県の長英さんの故郷・水沢を訪ねた時の話なども。
▼高野長英墓所(岩手県奥州市水沢)
 

「高野長英記念館展示録」に目を通すと、改めておどろく。
著作・論文数は82冊。
そのほかに手紙を獄中で多数書いている。
巻紙7㍍に及ぶ手紙も!
さらに獄中から故郷の母を思う手紙、泣かせる。
46年の生涯はひたすら、一心不乱の勉学ばかりではなかったのだ。
▼高野長英生家跡
 

①1825年 外国船打払令
②この令にもとずいて、1837年アメリカ船モリソン号砲撃事件
③尚歯会(蛮社)のメンバーの高野長英は「夢物語」、渡辺崋山は「慎機論」を書いてこれを批判
④1839年、幕政を批判した罪で二人を処罰(蛮社の獄)
 
上記の歴史の流れは教科書に記載され、超重要事項、テスト・入試頻出!
よって熱弁をおおいにふるえるところ。 

高野長英の語学力はものすごく、すぐにオランダ語は堪能になった。
シーボルトの鳴滝塾(長崎)の塾頭だった頃、友人が突然長英を驚かして押し倒そうとしたところ、
「あぶないっ!」
と、オランダ語で叫んだという
うーん、すげぇ。
▼高野長英誕生の地の石碑
 
蛮社の獄で長英は永牢と処断された。
「生涯出れない…」
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