今日、この投稿の日を楽しみにしている
自分がいた。

それは、この前の記事を投稿した後、
友人、数人から、
それぞれに感想が届いたり、
"ゆかの文章が好きだ" と言う
言葉をもらったおかげだろう。
くれた大切な友人たち、ありがとう。


その時に思ったこと、

私は、

【私の思いは届かないものだ】
とか
【私の思いは重くて受け止めがたいものだ】
という意識がどこかに強く根付いていた。

何を当たり前とし、何が基準になるかも
分からないけれど、

これまでの経験で、私的な感覚だと、
自分は、
人より少し、相手への関心だったり
想いの分量?私にとっては愛情なのだけれど、
それが、多かったり重かったりするのだろうなと
感じていた。

それを抱えて、

人と関わる中で、
深く分かり合えたこともあったはずなのに、

分かり合えなかった経験たちが、
えらく私の胸を傷つけていたみたいだ。

多分ほんの些細なことばかりだけれど。

大学時代、関西から出てきたばかりの
私は標準語でもなかったし、
言葉がきつく聞こえたのもあったのかもしれない
けれど、小さな誤解をいくつか生んで、
なぜか難しい出来事が起きたり、

他にも、
想いと言葉のすれ違いに苦しんだり。

そしていつからか、
なんとなく、傷つかない程度に
言葉を選んだり、相手を選んだり
してきてしまい、
それがスタンダードだと自分に
嘘がつけるようにもなってしまっていた。

でも、

いつからだろうなぁ。
それを自分の心で確かに
感じられるようになったのはここ最近。
だけれど、多分、それより少し前から、
"嘘をつきたくない、恥をかいてもいいから
今の心に正直に、言葉を伝えたい" と思い、
それができるようになってきた。
今こうして言葉を書いているのも
それができるようになったからだろう。

いつ、という
明確なタイミングは分からないけど
それができるようになった理由は分かる。

それはやっぱりこの記事の最初にも書いた、
大切な友人たちのおかげだ。

例えば、
なんでもかんでも言葉にしてシェアする親友。
私がどんな言葉を言おうと、聞き入れてくれて、
私が時折、私自身の意見を本当に正直に
言葉にした時は、
面白いから、もっと言った方がいい。
と言ってくれる。

彼女の存在がどれだけ私の言葉の
距離を広げてくれただろうか。

そして、
古くから、どんな時も付かず離れず
一緒に過ごしてきてくれた友達たちも。

彼女たちがいなかったら
私はいつまでも嘘をついて
生きていたかもしれない。

そして、少しずつ心の声を出せるように
なってから出会った友達にも
本当に、恵まれていた。
丁寧に、同じように、温かい言葉を
交換し合える友達にも出会えたりして、
本当の言葉で話しても、ちゃんと
届くんだと気づかせてくれた。

これは、私的に大きかったと感じているのは
出演した作品、歌劇『桜蘭高校ホスト部』
の人たちとの出会い。

この出会いの大きな意味は
ホスミュが全部終わってから詳しくは
書こうと思うけれど、

このみんなとの出会いのおかげで、
私は、

全ては分かり合えなくても、
全ては届けられなくても、

届けようとしたことに意味があって、

そして、実は
私の使ったそのままの言葉でなくても
きちんとその "想い"  は伝わっているんだ、
ということにも気づくことができた。

そう、
届けることができる関係性作りが
できていること、
その勇気を持てること、
受け入れてくれているという事実を
見つめること

の大切さを私は沢山の人に
教えてもらった。

だから、今は、
私の想いは、
私が本気で、届ければ、届くと
思っているし、
人の思いも全力で受け取りたいと
思っている。

本気でそれができれば、例え
受け取り合えなかったとしても、
後悔しないということも分かった。
その場合、私が悪いわけでも
相手が悪いわけでもきっとないから。


そうして至る今の私は

嘘をつくのがめちゃくちゃ下手くそで、
すぐに今の気分はバレる、
騙し合う系のゲームは弱い、
基本めっちゃ暑苦しい系やけど、
魂だけは燃やすで!
な女ですが、

過去、【友達が少ない】
と言っていた自分に言ってやりたい

友達が少ないって言葉は
大嘘だから絶対言うな!
私をこんな風に導いてくれた友達は
いっぱいいる。
この【友達が少ない】という言葉に
ついてもまた書こうと思う。


私は友達のお陰で、
本当の言葉を言えるようになった。