私、辿る道が好きで
結果にはそこまでは執着がないことに
気づいちゃいました。

後、死ぬ時のために
生きてるなぁって思って
なんか人生を感じたりもしてる30!

30歳ってなる時怖かったけど
なってみたら
別にあんまり変わらないと
思ってたけど、
めっちゃ変わる!

自分の思考が、今までとまるで違って
むしろ怖い
20代の時には、
友達との会話で自分がこんなことを
言う日がくるなんて
想像もしてなかった
と思うような言葉を
いうようになってて、
しっかり人生の年月重ねてる私。

自分がなにを思うかとか
自分がなにを選択するかっていうのは
もちろん自由だと思うけど、
その結果が人に与える影響は
考えた方がいいよねと思っていて
その人に与える影響に目を向けると
自分の本当の選択みたいなものは
選ぶのが難しかったりする

そのたびに
私が、30年間、
意外にもちゃんとした密度で人と生きてきた
ことを感じて、嬉しいやら、恥ずかしいやら

これ言ったら気まずいなぁと
思って言えなかったことも、
今なら責任を持って言えるように
なっていたりして
なんの責任なんだろうって感じだけど。

私は、
絶対的な目標とか、
高い山に向かって走れる人のことが
昔から羨ましくて、
私、多分昔から
勝つことに執着がなくて

でももちろん勝ちたくはあって、

でも勝ちだけを獲得したいわけじゃなくて

勝つために、
一生懸命行動した、
だから勝てたという事実が欲しい

勝つことに限らないんだけど

"楽して稼げる"
とかってもちろんそんなことが
ありゃいいのかもしれないけど
楽して稼ぐ、より、
しっかりやることやってもらった対価のほうが
私は嬉しかったりする。

そんなことを考えながら
思い返した学生時代

私、学園祭とか合唱コンクールとか
めっちゃうるさかったやろうなーと思って。
もうどんな風に振る舞ってたかも
あんまり思い出せないけど、

多分、みんなで頑張ろう!って
感じだったと思う
何せ賞を取るより
そのために頑張る時間が好きだから

でも絶対そんなことない人もいて、
そもそも行事に関心がない人もいただろうし
賞を取ることに興味がなかった人もいただろうし
賞なんて練習しなくても取れるよ
って人もいただろうし
本当いろんな人がいたと思う。

今更めっちゃ申し訳ない気もしてくるし
学生時代の私って結構ちゃんと
意見持ってたよなぁって変に嬉しくもなるし、
学校ってすごいなぁって。
全然違った考え方、価値観、興味
の人たちが一つのクラスにまとめられて
同じことをするんだもの

そこで見えてくることって
当時も沢山あったけど今なら
絶対もっと沢山あるし、今の私なら
考えられることもきっともっとある

頼むから
学校生活もう一回やらせてください。
と思うね。

何の話かなこれ。
とりあえず
学生時代私と同じクラスだった人たちよ。
頑張る過程を強制してたら、ごめんな。

まぁ、要するに
私はゴールよりゴールするまでの過程に
興味があって、
その過程を充実させるために
ゴールに向かいたいまである。
そして、強制はしたくないから
1人ででもその過程を大事に
進んで行きたいけど、
一緒にその過程を進めるひとがいるなら
大勢であったほうが嬉しいは嬉しい。
ゴールをみてる人と
同じ方向はみてるワケだから、
やり方は違えど一緒に走ることは
できるのかもしれない。


みんなはどっち派?