続・熱田神宮 (愛知) | 星の道

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神社巡りの記事ばかりです。

前回に予告した通り、熱田神宮の参拝記事の続編となります。




本宮でまずご挨拶をして、それから1時間後くらいに一之御前神社に続く「こころの小径」が開いたので(朝九時前まではゲートが閉まってます)、写真にある小径を進んで一之御前神社へと向かいます。


前回も書いたような気がするのでこちらの説明はざっくりとだけ。
一之御前神社は熱田神宮の境内摂社にあたり、ご祭神は熱田大神(あるいは天照大御神)の荒魂とされています。
本宮のさらに奥にあって、昔は熱田神宮の神職しか入ることのできない禁足地とされていました。
(調べてみたら参拝できるようになったのが2012年12月からだそうで、本当につい最近の話のようです)


数分ほどで一之御前神社に着き、そこでもきちんとご挨拶をしてきました。
手を合わせるだけじゃなくて祓詞を言った方がいいような気がして、短いタイプのものを奏上しましたが、なんかどうもしっくりこない。

簡略されたものじゃなくて、もっとちゃんとしたのをした方がいいような気がする。

でも大祓とか長々と奏上してると、その間に後ろから他の参拝者の方がこちらにやってくるかもしれない。
小声で言っているとはいえ、静かな場所で唱えてたらさすがに相手にはわかるだろうし、人に聞かれるとやっぱりどうも気恥ずかしい。
「相手に聞こえてないかな…」とか「なんだこの人とか思われてるんじゃなかろうか…」とか脳裏をよぎってしまうので、横から祝詞が聞こえたとしても相手の方は別に気にされないかもなのですが、自分のほうが気がそぞろになってしまうわけなのです…。


「大祓じゃなくて他の何かないかな」と思った時に、なんとはなしに「六根清浄祓詞」がいいような気がしたので、こちらで六根清浄祓を奏上しました。
六根清浄祓は大祓詞ほど長くないし、出だしが『道祖の神 天照大御神の教えを伝え導き宣わく云々』から入るので、天照大御神の荒魂が祀られてるというこちらならばこの祝詞がいいかな…という感じで。



ちなみに私の参拝セットがこちら。
バックインバックに経本(ほぼ天台)、八宗の数珠、神道祈念詞(椿大神社の授与所で売ってたもの)、小物ケースに入れた塗香が基本入っていて、神社だけの時は経本と数珠を抜いたり、お寺だけの時は神道祈念詞を抜いたりして手持ちの鞄に入れて持って行ってます。
椿大神社で買ったこの祈念詞は大きいのでかさばるんだけど、そのぶん祝詞が多めに載っていて六根清浄祓詞も入ってるので個人的にお勧めです。


六根清浄祓詞を奏上している前後の時間は、あれだけ心配していたにも関わらず誰も人が来なくて、心静かに集中して参拝ができました。

自分が周囲に人が居ると気が散るタイプだということをわかって人払いをしてくださったのなら、とても有り難いことだと思ってます。




で、熱田神宮の感想。

一之御前神社で六根清浄祓詞を奏上した後、そのまま頭を真っ白にして目を瞑って合掌していたら、形容しがたい「衝撃」がきました。
体にではなく意識に。


もうね、言葉にならなくて「うわあああああああああ?!?!?!!!!!」みたいな感じです。
あまりに驚きすぎて言葉にできない。

そんでもってこの衝撃というのは「私」が感じてるんじゃないんですよ。私の深層意識というか、私の無意識が何かに心から「魂消てる」。


 

たまげるという言葉を漢字にすると「魂消る」と書く意味が実感としてわかりました。
自分の心の奥底がめっちゃなにかに驚愕していて、言い表すと「うわあああああああああ!!!!!」としか書きようがない。


そしてですね、自分の無意識が何にそんなに衝撃を受けてるのかというのは、表層意識の自分にはまったくわからない。

わからないんですが、自分の魂の奥底がこの場所でとんでもなく衝撃を受けてるのだけは確かで、上で書いた「うわああああああああ?!?!?!!!」という叫びで説明すると、「!」を言ってるのが私の無意識(深層意識)で「?」を言ってるのが私(表層意識)という感じに思ってもらえると伝わりやすいかもです。



なんというか、人の気配のない静寂に包まれた場所で手を合わせて一人で佇んでいると思ってたら、いきなり場面が転換してもくもくと煙を吐いている活火山のでっかい噴火口の真上に浮いていた、くらいの衝撃です。
頑張って例えてみるならそんな感じの、それくらいあり得ない衝撃でした。

 

 


ちょうどいい動画が見つかったので貼ってみました。
いきなり見慣れた光景が消えて、そして唐突に溶岩湖の真上の空間に自分が居たとしたら心底たまげてしまいませんか…?


上手く言えませんが、大自然(台風とか、火山とかレベル)の物凄いエネルギーに触れたような感じだったのだと思う。
別に火山の火口やマグマが見えたわけじゃない。ただ、煮えたぎるマグマを見た時に感じるとてつもなくでかい大自然のエネルギー(力)のようなものを、その時に直に触れたような気がした。
それをなんとか表層意識の私が言葉で言い表せられないかと考えたたとえが「火山口のマグマの上にいた」というものです。
足元にとてつもなく巨大なエネルギーがある…



こっからさらに主観そのものの感想。


熱田大神か天照大御神か、どっちかなんてわからないけどあれは凄い「力」で、その力を例えるなら確かに荒魂としか言いようが無かったろうな、と思う。
本当に火山のような巨大なエネルギーとしか比べ物にならないような力。
だから人ではなくて神の力。


そして熱田大神の正体があの場所に納められた草薙剣であり、その荒魂だとすれば。

あんなのとても人の持てるものではないと思いました。
だって剣であっても神の力そのものですよ?だからこそ神剣なんでしょうが、あまりにも強いので神じゃないと持てなさそうです。


帝(皇室)ならばこの神剣を持てたりするんだろうか?と言うこともふと気になりましたが、でもやっぱり帝であっても人の身だから無理だろうな…とも思いました。
草薙剣が日本武尊が亡くなった後この地に埋められたのも、倭姫が八咫鏡をもって伊勢まで祀る場所を探したのも、やはり人なる身がそういう強大な力をもつ存在のそばにずっといられるものではないから、なのではないでしょうかね…。

いくら火山が昔から信仰の対象になるくらい大きなエネルギーに溢れた場所だとしても、じゃあ活火山の噴火口のすぐそばで家建てて、寝たりご飯食べたりして過ごせますか?って話というか。



前に地元の三上神社か建部に参拝に行った時に「神剣は両刃。両刃なので神威は相手だけではなく自分にも向かう。なので自分を清浄に保たないといけない」というような思いがふっと湧いてきたことがあります。
太陽の光が人を選んで射したり射さなかったりすることは無いのと同じで、巨大なエネルギーは対象者を選ばず基本全方向であって、だからこそなんというか、これは人が扱うのは無理なのでは…というような感じがするといいますか。
 

そういう、台風や火山などから感じるとてつもない「大自然を動かすエネルギー」のようなものを、自分の深層意識は感じたような気がします。


ただこれ、前回に熱田に来た時には全然そういうのを感じなかったんですよね。
当時より今のほうがそういうセンサーが多少は冴えて拾いやすくなってたりするのかもしれませんが、どちらかというと自分の資質の変化がどうこう…というよりも今回は「感じとれる環境が整えられていた」という点が強いんじゃないのかな、と思ってます。



なので、熱田に行くのならばまず環境を整えるために、昔ながらの方法で行くのを私はお勧めします。

熱田に行く前に沐浴をする。
あと、境外摂社にきちんと熱田神宮に向かうことを報告してから行く。
(私は鈴之御前神社と高座結御子神社に行きました)
そして地元の一宮など、よく参拝に行く大きな神社に報告してからだと、その神社から熱田に紹介状を書いてもらえる気がする。

私の場合はこの神社が椿大神社で、椿→高座結御子→熱田というように紹介状が回っていった気がしてます。


そして何より、祝詞をきちんと神域で奏上すること。

これが凄く大きかったんじゃないのかな…と個人的には思ってます。なぜなら祝詞を唱え終わった後にいきなりガツンとあの衝撃が来たので…。
短いのじゃなくて長めのほうがいいような気がします。大祓か六根清浄祓か。それをちゃんと集中して奏上する。


もしかしてちゃんと集中して祝詞を奏上できるのなら、一之御前神社ではなく本宮でも同じような衝撃は感じられるのかもしれません。
(本宮の下に剣が埋まっているそうなので)
ただ本宮前だと大体いつでも誰かしらはおられるので(参拝客がいなくても警備員さんがすぐ横に立ってて、参拝者のほうを見ておられます)、私は本宮前では祝詞奏上は試さなかったんですよね。
他人に祝詞を聞かれるとちょっと恥ずかしいマンなので…。
でもそういうのが気にならないのなら、本宮前でもこれはやってみてもいいかもしれない。


なんか熱田は祝詞を言うか言わないか、というのがすごく重要な気がする。
祝詞を終えた直後にそういう不思議な感覚になったので、どうしてもそう思ってしまう。
そして後は潔斎かな…とにかく「心身を清める」という流れにずっとなっていた気がします。



とはいえ、別にこんな面倒くさいことをしなくても感じる人は感じるのだろうし、やったからといって感じるかどうかも人それぞれだと思うので(神社との相性もあるだろうし)、そもそもそんなことをしなくても熱田神宮は参拝しててとても気持ちの良い神社だと思うので、あくまでこれは「ろぜ太が感じたこと」くらいに思ってくださって結構です。



ただ自分的には本当に今回の参拝は衝撃だった…。

このブログをずっと読んでくださってる人にはわかるだろうけど、私は神社参拝自体がとてつもなく好きなだけで、別にそこで神を見たとか神様にこう言われたとか、そういうのってない人なんですよね。
別に霊感バリバリ人間でもなく、ましてチャネラーでもないので神社には好きで参拝しても、そういう類のことは体験もしないし書かないんだろうなと思ってました。

でもあまりにも衝撃で書いてしまった。
一体何だったんだろうあれは…というのが正直な感想です。




よくわからないけど、何故かあと数回は熱田に行かなくてはいけないような気が凄くするのでまた今度行って参ります。
椿大神社にも熱田に紹介状を書いてもらったお礼と行った感想をまた報告しないと。
凄い所に紹介状を書いてくれて本当にありがとう…