おはようございます。
最近車を買ってくれたお客さんの話ですが、某電機メーカーの重役を中心に乗せるハイヤーの運転手なんです。
知らなかったのですがいまやハイヤーも派遣会社なんですね。
メーカーは派遣会社に90万くらい払っているそうですが、運転手には40万以下。
維持費や経費を考えるとそうなるのかも知れませんが、搾取の酷さは社会主義にも匹敵するんじゃないでしょうか?
この盆休みも社員の運転手は休み、派遣は仕事。
休みないんですか?と聞くと、なんや辞めたいんか?と聞かれる始末。
仕事が終わり、帰るときには社員を近くの駅まで私用の車で送らなければならないとか、ちょっと考えられない環境だそうです。
役員の行き先は、運転手を何時間も待たせて、飲み食い、京都の料亭など、今のご時世に合っていないと思われる行為。
片や工員は汗水垂らして薄給。
こんなところで働きたくて、学校行ったの?とも思うし、子供のころに思い描いた夢は希望は?とも思う。
それとも、上記のような環境に自分がいつかなれると?
私は、よしんば偉くなったとしても、上記のような事には興味はないが。
どうせなら、社員と同じ作業服を着て、教えたり教えられたりの空気のほうが好きだ。
創業者はそんなことをしたくて、未来の重役にさせたくて、あれだけの苦労をして会社を建てたのだろうか?
私は戦争にも掠っていなが、浜田省吾のライジングサンだったかな「焼け跡の灰の中から強く高く飛び立った」で始まる歌なんだけど(著作
権に触れるとダメなのでここまで)この時の日本人の思いに馳せないといけないんじゃないかと思う。
団塊はタダ乗りしただけ、ある程度の苦労はわかる、しかし創業の苦しみはわからない、勉強だけしてきたから輪をかけてわからないだろな。
折角、人よりも知識はあるが知恵がない、哀れなもんだよ。
私はいつも思う、時代は創れるが誰もが乗れないのだと。
唯一乗っているという表現はいささか不敬だが、天皇陛下だけである。
それは常に時代の中心なのだから。
儲けたから乗れたのではない、それは傲慢というもの。
テレビをつければ、年収いくらじゃないと結婚できないと汚ったない顔した女が扶養家族になるくせに馬鹿な要求をしている。
私にも娘がいるが、そういう金銭に関しての教育はしなかった。
それは卑しい顔になるからに他ならない。
幸せになるために何が必要かわからいなんてなんて時代だろうか?
ある程度のお金は必要だが、使い切れない金額が必要だろうか?
物が買えるのがそんなに羨ましいか?人の持っているものが自分にも同じように、同じ価値で必要か?
そんなことないと思うけどな。
だいたいお金のある家って、ろくな子供育ててないよね、なぜだろう?金銭に余裕があれば心身ともに豊なんじゃないのか?
私の教育が合っているともすべてだとも思っていないが、誰一人犯罪者がいない、なぜだろう?裕福ではないのに・・・
全ては金銭的関係ではなく愛情的関係が一番いいのじゃないかと思う。