”財政余力とは何なのか?”  ~三橋貴明氏のブログより~ | へっぴりごし

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井戸端談義のネタにでも

誤字脱字が多いのは、年のせいにします。w

 

 先日の三橋経済塾のテーマでしたが、1960年の池田勇人内閣(タクトを振ったのは、下村治)の所得倍増計画の何が凄いのかといえば、
「国民総生産(当時のメイン指標はGDPではなくGNP)の「実質値」を十年で二倍にする」
 と、明確な数値目標が掲げられたことです。


 実質値でGNPを十年二倍ということは、毎年7%の経済成長率が必要ということになります。


 そのためには、どうしたらいいのか? 


 公共投資は(厳密には公的固定資本形成)どうするのか? 民間の企業設備が増える政府投資が望ましいですが、
「政府が投資した結果、民間の投資が起きた」
「民間の投資が起きた結果、政府が(インフラ)投資せざるを得なくなった」
 と、政府投資と民間投資は相互に関連し合います


 あるいは、メインの需要となる民間最終消費支出をいかに活性化させるのか? 今なら、
「消費税を廃止する」
「社会保険料を減免する」
 と、政策的にはシンプルな方法がとれますが、当時はどうしたのでしょうか


 また、数値目標が明確であるため、例えば五輪不況に陥った際は、
「経済成長率が7%に足りない」
 ということで、戦後初の(補正予算の)赤字国債(特例公債)の発行が決断されました。


 「目標」が明確であり、かつ「国民の実質の所得(の合計)を増やす」というものであり、誰も抗えない。さらには、目標は数値目標で、そこからブレイクダウン(細分化)して政策の具体化ができる。


 改めて振り返ると、岸田文雄は自民党総裁選時に「令和の所得倍増」を掲げましたが、あの「所得」とは、一体何のことだったんでしょうかね? 実質賃金なのか? 実質可処分所得なのか? GDPなのか? GNIなのか?


 本人は一切、説明しませんでしたので、要するに、
「何も考えていなかった」

 というのが正解なのでしょうが、まさにこれこそが「政治の劣化」なのですよ。
 

 さて、財務省は目的は狂っていますが、手法は正しく、彼らの望む「財政均衡主義」へと政治を誘導しようとしています。すなわち、「数値的に縛る」です。


 とりあえずは「プライマリーバランス黒字化を2025年度に達成する」という数値目標を骨太の方針において閣議決定「させ」、あるいは「社会保障支出以外は三年間で1000億円しか増加させない」という歳出キャップを閣議決定「させ」、それに基づき政治を動かそうとする


 さらには、マスコミを(財政研究会を用いて)操作し、財政破綻論、PB黒字化「当然だろ?」論を広め、日本を歪めている

<主張>骨太の方針原案 財政余力を高める布石に
 政府が今年の経済・財政運営指針「骨太の方針」の原案を公表した。「成長型の新たな経済ステージ」への移行に向け、賃上げの定着や成長分野への集中投資などを掲げた。
 併せて強調したのが経済・財政・社会保障の持続可能性を確保するための取り組みである。
 高齢化に伴う社会保障の負担増や厳しさを増す安全保障環境への対応などで、今後の財政需要は一段と高まろう。新型コロナ禍や震災のような突発的な危機が発生するかもしれない。
 これらに適切かつ機動的に対応するためには、財政余力を高めておくことが特に重要だ。政府には、骨太を踏まえた責任ある財政運営を求めたい。(後略)』

 最近はやりの「財政余力論」が異様極まりないのは、例えばコロナ禍の2019年末から2020年末にかけた国債発行残高(※国庫短期証券含む)は、66.7兆円も増えたという現実です。一年間で、66.7兆円の国債発行残高の増加、つまりは(おおざっぱに)財政赤字66.7兆円です。


 で? 何が起きた?


 というか、当時の日本政府には財政余力があったのか?


 そもそも、財政余力とは何なのか? 財政余力とは、変動為替相場制の独自通貨国においては、
「政府が財政出動で需要を拡大しても、供給能力が十分で、インフレ率がそれほど上がらない」
 ことです。インフレ率が上がらないならば、政府は別に国債を発行し、国民のために支出して構わないのです。ただ、それだけです。


 そして、現在の財務省主導のPB黒字化路線は、日本のデフレを継続させ、供給能力を破壊するため、財政余力を毀損していっているのでございます。


 財務省やマスコミが「財政余力を高める!」と、緊縮財政を強行した結果、我が国の財政余力はひたすら縮小していっているのですよ。


 これが、現実だよ。
 

「日本の財政余力を潰す緊縮財政を潰せ!」